歴史をたどるー小国の宿命(89)

鎌倉幕府にとって、難敵は楠木正成だけではなかった。

もともと幕府側の人間だった武将が、朝廷側に寝返ったのである。

その人物こそ、上野国(こうずけのくに)出身の新田義貞(にったよしさだ)と、下野国(しもつけのくに)出身の足利尊氏であった。

ご存じのとおり、上野国は今の群馬県にあたり、下野国は栃木県にあたる。

新田義貞は、一時は敗走するが、最終的には鎌倉入りして、幕府軍を挟み撃ちにして滅ぼした。

足利尊氏は、関東から上洛し、朝廷の監視役だった六波羅探題と戦って滅亡させた。

後醍醐天皇は、本州に舞い戻って、今の鳥取県にあたる伯耆国(ほうきのくに)で待機し、頃合いを見計らって、再び倒幕の挙兵をしたのである。

そして、楠木正成たちに迎えられながら、京都に帰還した。

こうして、1333年に鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇が再び実権を握った。建武の新政が始まったのは、このときである。

だが、持明院統と大覚寺統の対立は、解消されていなかった。それだけでなく、のちに足利尊氏とも対立することになり、再び内乱が起こったのである。

建武の新政が短命に終わるのは、時間の問題であった。






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