古典100選(37)狭衣物語
北海道の桜の季節も終わり、すっかり春は遠ざかってしまったが、来る夏本番を迎える前に、もう少し春の余韻に浸ってみたい。
今日は、『狭衣(さごろも)物語』である。
注目してほしいのは、先週紹介した『源氏物語』と『俊頼髄脳』の一場面に出てきたワードが、下記に紹介する『狭衣物語』にも登場するので、ぜひ見つけてほしい。
では、原文を読んでみよう。
①少年の春は、惜しめども留まらぬものなりければ、弥生の二十日余りにもなりぬ。
②御前(おまえ)の木立、何となく青み渡れる中に、中島の藤は、「松にとのみも」思はず咲きかかりて、山ほととぎす待ち顔なるに、池の汀(みぎわ)の八重山吹は、「井出の渡り」にやと見えたり。
③「光源氏の、『身も投げつべき』とのたまひけんも、かくや」と、独り見給ふも飽かねば、侍童(さぶらいわらわ)の、おかしげなる、小さきして、一枝づつ折らせ給ひて、源氏の宮の御方に持て参り給ひければ、御前には、中納言・中将など言ふ人々、絵描き、色取りなどせさせ給ひて、宮は御手習ひなどせさせ給ひて、添ひ臥してぞおはしける。
④「この花どもの夕映へは、常よりもおかしく候ふものかな。春宮(とうぐう)の、『盛りには、必ず見せよ』とのたまはせしものを。いかで、一枝御覧ぜさせてしがな」とて、うち置き給へるを、宮、少し起き上がり給ひて、見遣こせ給へる御目見(まみ)・面(つら)付きなどの美しさは、花の色々にも、こよなふ優り給へるを、例の胸騒ぎて、花には目も留まらず、つくづくと守らせ給ふ。
⑤「花こそ春の」と、取り分きて山吹を取り給へる御手付きなども、世に知らず愛(うつく)しきを、人目も知らず、我が御身に引き添へましう思さるる様ぞ、いみじきや。
⑥「くちなしにしも、咲き初めにけん契りぞ、口惜しき。心の中(うち)、いかに苦しからん」とのたまへば、中納言の君、「さるは、言の葉も繁う侍るものを」と言ふ。
以上である。
これは、『狭衣物語』第1巻の冒頭の場面である。「弥生の二十日余り」「御前」「木立」「中島」「藤」「山吹」「くちなし」などの言葉があるが、現代の私たちが「春は桜」というイメージを持っているように、当時の(貴族の)人々にとっては、庭先の「藤」や「山吹」の花も鑑賞の対象だった。
また、「光源氏」という固有名詞があるが、この物語は『源氏物語』が書かれただいぶ後の1080年頃に成立したとされている。
「光源氏の、『身も投げつべき』とのたまひけんも、かくや」というのは、源氏物語の「若菜上」の巻(=第34帖)に出てくる和歌を知っている人なら、すぐに通じるセリフなのである。
その和歌とは、次のとおりである。
沈みしも 忘れぬものを こりずまに
身も投げつべき 宿の藤波
『源氏物語』の中で源氏の君が「身も投げつべき」と詠んだのは、こういう景色なのだなあ(=かくや)と言っているわけである。
なお、この直後に出てくる「源氏の宮」(=女性)は、『狭衣物語』の登場人物名であり、光源氏とは関係がない。
そして、この物語の主人公は「狭衣中将」であり、源氏の宮は、狭衣中将の従妹(いとこ)である。
従妹にも恋している狭衣中将の恋愛遍歴が描かれた物語が『狭衣物語』なのである。
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