古典100選(2)蜻蛉日記
昨日の記事で紹介した『大鏡』の作品の中でも登場するが、今日は『蜻蛉日記』を取り上げよう。
『蜻蛉日記』の作者は、本名が不明なので「藤原道綱の母」と呼ばれている。
藤原道綱は、藤原道長のお兄さん(二番目のお兄さん)であるが、異母兄である。
道長や長兄の道隆は、時姫(ときひめ)という母親のもとで生まれている。時姫が、実は正室なのである。
藤原道綱の母は、藤原兼家と結婚しているが、正室ではないので、兼家が家に来てくれないと会えないわけである。
実は、兼家には全部で9人の妻がいたとされ、時姫や藤原道綱の母以外にも、女性の家に通っていた。今で言うなら不倫みたいなものである。
では、原文を読んで、夫の藤原兼家と、妻である藤原道綱母とのやり取りをみてみよう。
これより夕さりつかた、「うちのかるまじかりけり」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむとまり給ひぬる」とて来たり。さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二三日ばかりありてあかつきがたに門をたたく時あり。さなめりと思ふに、憂くてあけさせねば、例の家とおぼしきところにものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、
なげきつつ ひとり寝る夜の あくる間は
いかに久しき ものとかは知る
と、例よりも引きつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。 返りごと、「明くるまでも試みむとしつれど、とみなる召使の来あひたりつればなむ。いとことわりなりつるは。
げにやげに 冬の夜ならぬ真木の戸も
遅くあくるは わびしきかりけり
さても、いとあやしかりつるほどにことなしびたる。しばしは忍びたるさまに、「内裏に」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ限りなきや。
以上である。
「なげきつつ」の歌は、百人一首でも有名であるが、何を藤原道綱の母は嘆いたのか。
「うち」(=宮廷の内裏)に用事があると言って出かけた兼家のあとを人にお願いして追跡させたら、実は「町の小路」の女のところへ行っていて、二三日ほどして明け方に戻ってくるまで、ずっと帰ってこなかったことを嘆いたのである。
兼家は、道綱の母の贈った和歌(手紙)に対して、「げにやげに」(=あなたの言うとおりごもっとも)と理解を示すが、「冬の夜みたいになかなか明けないのと同じで戸を開けてくれないのもつらいことよ」と返して、「オレだって開けてくれるまで待っていたんだせ。」と勝手な言い訳をしている。
これには「いとどしう心づきなく」(=大変不愉快だ)と道綱の母は激怒したわけである。
いつの時代も、浮気男は身勝手である。