古典100選(89)とりかへばや物語
有名な『源氏物語』の冒頭文は、次のとおりである。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふありけり。
今日紹介する『とりかへばや物語』も、出だしの言葉はほぼ同じ意味である。
そして、『源氏物語』の成立時から180年の時を経て書かれたものである。
この180年の長さは、ちょうど明治維新から2050年までの長さにあたる。
1180年ごろに書かれた『とりかへばや物語』の「とりかへばや」の言葉は、顔のよく似た息子と娘の性格が正反対で、息子は内向的、娘は社交的なので、父親がそれを嘆いて「取り替えたいなあ」と思ったというお話からきている。
では、原文を読んでみよう。冒頭部分である。
①いつの頃にか、権大納言にて大将かけ給へる人、御容(かたち)身の才心用ゐよりはじめて、人柄世の覚えも並べてならず物し給へば、何事かは飽かぬことあるべき御身ならぬに、人知れぬ御心の内の物思はしさぞ、いと尽きせざりける。
②北の方二所物し給ふ。
③一人は、源宰相と聞えしが御娘に物し給ふ。
④御心ざしはいとしも優れねど、人より前(さき)に見初め給ひてしかば、疎かならず思ひ聞こえ給ふに、いとど世になく珠光る男君さえ生まれ給ひにしかば、またなく去り難きものに思ひ聞こえ給へり。
⑤いま一所は、藤中納言と聞こえしが御娘に物し給ふが御腹にも、姫君のいと美しげなる生まれ給ひしかば、様々珍しく、思ふ様に思し傅(かしづ)く事限りなし。
⑥上たちの御有様のいづれもいとしも優れ給はぬを、思す様ならず口惜しき事に思したりしかど、今は君達の様々美しうて生い出で給ふに、いづれの御方をも捨て難きものに思ひ聞こえ給ひて、今はさる方におはし付きに足るべし。
⑦君達の御容の、いづれも優れ給へる様、ただ同じものとのみ見えて、取りも違へつべう物し給ふを、同じ所ならましかば、不用ならましを、所々にて生い出で給ふぞ、いとよかりける。
⑧大方は、ただ同じものと見ゆる御容の、若君は、貴(あて)に香り気高く、なまめかしき方添ひて見え給ふ、姫君は、華々と誇りかに、見ても飽く世なく、あたりにもこぼれ散る愛敬などぞ、今より似るものなく物し給ふける。
⑨いづれもやうやう大人び給ふままに、若君は浅ましう物恥ぢをのみし給ひて、女房などにだに、少し御前遠きには見え給ふ事もなく、父の殿をも疎く恥づかしくのみ思して、やうやう御文習はしさるべき事どもなど教へ聞こえ給へど、思しもかけず、ただいと恥づかしとのみ思して、御帳の内にのみ埋もれ入りつつ、絵描き、雛遊び・貝覆ひなどし給ふを、殿はいと浅ましきことに思しのたまはせて、常に苛み給へば、果て果ては涙をさへこぼして、浅ましう慎ましとのみ思しつつ、ただ母上・御乳母、さらぬは無碍に小さき童などにぞ見え給ふ。
⑩さらぬ女房などの御前へも参れば、御几帳に纏はれて、恥づかしいみじとのみ思したるを、いと珍(めずら)かなる事に思し嘆くに、また姫君はよりいとさがなくて、おさおさ内にも物し給はず、外にのみつとおはして、若き男ども童部などと、鞠・小弓などをのみもて遊び給ふ。
⑪御出居にも、人々参りて文作り、笛吹き、歌謡ひなどするにも走り出で給ひて、もろともに人も教へ聞こえぬ琴笛の音も、いみじう吹きたて弾き鳴らし給ふ。
⑫物うち誦じ、歌謡ひなどし給ふを、参り給ふ殿上人・上達部などは、愛(め)で愛(うつく)しみ聞こえつつ、かたへは教へ奉りて、この御腹のをば姫君と聞こえしは、僻事なりけりなどぞ、皆思ひ合へる。
⑬殿の見合ひ給へる折こそ、取り止めても隠し給へ、人々の参るには、殿の御装束などし給ふほど、先づ走り出で給ひて、かく馴れ遊び給へば、中々え制し聞こえ給はねば、ただ若君とのみ思ひて、もて興じ愛しみ聞こえ合へるを、さ思はせてのみ物し給ふ。
⑭御心の内にぞ、いと浅ましく、返す返すとりかへばやと思されける。
以上である。
いかがだろうか。
最後の「返す返すとりかへばやと思されける」の続きが知りたい方は、ぜひ続きを読んでみると良いだろう。
800年の時を経て、ジェンダー問題が社会的にクローズアップされたのは、遅すぎたのだろうか。