現代版・徒然草【30】(第131段・生き方)
現代の私たちは、物質的豊かさを享受するあまり、かつての先人の次の言葉を忘れがちである。
「衣食足りて礼節を知る」
衣食とは、着るものと食べるもの。
礼節とは、礼儀と節操。
節操のない人が増えているような気もするが、この機会に「節操」の意味を確認しておこう。
節操とは、自分の意志や道徳的基準をしっかり守り、ぶれないことである。
つまり、流行に左右されず、地に足をつけて生きていることである。
そこをおさえた上で、兼好法師が書いた第131段の原文を読んでみよう。
貧しき者は、財(たから)をもって礼とし、老いたる者は、力をもって礼とす。己が分(ぶん)を知りて、及ばざる時は速(すみ)かに止(や)むを、智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは、己れが誤りなり。 貧しくして分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。
以上である。
最初の一文は、あまり感心しないことだとして、貧しい人と年老いた人を挙げている。
貧しい人は財力に憧れて、年老いた人は体力に憧れるあまり、それを一般的水準に引き上げようと無理をする。それが「礼節」だと思い込んでいるのである。
次の文では、自分の限界を知って、(つまり、分相応な生き方をして)、(一般的な水準に)及ばないときは、速やかにやめるべきだと言っている。それが「智」というものだ。
その次の文では、「これを許さない人は、その人が間違っている。」と言っている。
さらに次の文では、「自分の限界を知らずに、無理して頑張るのは、あなたが間違っている。」と言っている。
最後の文で、「貧しくて分を知らない人は盗みを働き、体力の衰えを受け入れずに無理をする人は病気になる。」と言っている。
人並みに生きようと、貧乏なのにカードキャッシングをしてブランド物を身に着けたり、いい歳してまだまだ元気だと見栄を張って、風邪を引いたり骨折したりするのは、現代でもよく見聞きすることである。
そんな現代人を兼好法師が見たら、きっと「情けないこと、この上なし。」と言うであろう。