古典100選(1)大鏡
今日から始まる「古典100選」シリーズ1発目の作品は、『大鏡』である。
『大鏡』の作者は不明であるが、平安時代の宮廷の様子が描かれている歴史物語であり、藤原道長も登場する。
道長が登場するシーンのうち、「くらべ弓」という遊び(=どちらが多く的に弓矢を当てられるかを競う)の場面があるが、これは道長の兄である藤原道隆(=中の関白殿)と道隆の子どもの藤原伊周(=帥殿)が大勢の見物客の前で恥をかいた場面である。
その場面の一部を、原文で紹介しよう。
①帥(そち)殿の、南の院にて、人々集めて弓あそばししに、この殿渡らせ給へれば、思ひかけずあやしと、中の関白殿おぼし驚きて、いみじう饗応し申させ給うて、下臈におはしませど、前に立て奉りて、まづ射させ奉らせ給ひけるに、帥殿の矢数いま二つ劣り給ひぬ。
②中の関白殿、また、御前に候ふ人々も、「いまふたたび延べさせ給へ。」と申して、延べさせ給ひけるを、やすからずおぼしなりて、「さらば、延べさせ給へ。」と仰せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、「道長が家より、帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ。」と仰せらるるに、同じものを、中心には当たるものかは。(以下省略)
上記①②の内容は、「この殿」(=道長)が、道隆と伊周親子の催しの場にいきなり出てきて、伊周と道長がくらべ弓をしたというのがポイントである。
実は、この当時、道長は、甥にあたる伊周よりも官位が低かった。まだ全盛期を迎えていない時期である。兄の道隆や伊周とは、敵対していたのである。
ところが、道長が伊周よりも2本多く的に弓矢を当てたので、伊周を気遣った道隆や取り巻きが「あと2回延長せよ」と言ったわけである。
道長は不満だったが、「自分の家系から天皇や后が出てきてくれるならこの矢よ当たれ」と念じて、弓矢を放ったら、なんと命中してしまった。
そして、「以下省略」としているが、2本目もやはり当たってしまい、伊周(=帥殿)は動揺して全然当たらなかったのである。
道隆は真っ青になり、もうやめだやめだと言って、帥殿をなだめることになったのだが、この道長の神がかった的中率に、催しの場は完全にしらけてしまった。
ちなみに、甥とはいえど、道長と伊周は、8つしか歳が離れていなくて、「いい大人が子ども相手に何やってる」という非難はまったく意味を成さない。
むしろ、階級の低い道長に、カンペキな命中を2度も目前でやられて、道隆と伊周親子は面目丸つぶれになったのである。
この後、道隆と伊周が道長より先に若くして亡くなり、道長が自分の娘を天皇の后にして栄華を極めたのは、言うまでもない。