【続編】歴史をたどるー小国の宿命(10)

南朝の勢力に奪われた勾玉は、どうなったのだろうか。

まだこの話をしていなかったが、奪われてから16年経って取り戻されたのである。

皇位継承ごとに引き継がれる神器は、正確には「三種の神器」というのだが、今の時代にも所定の場所に保管されている。

鏡と剣と勾玉は、今では別々の場所にある。鏡は、伊勢神宮の内宮にある。剣は、熱田神宮にある。勾玉は、皇居の「剣璽の間」にある。もしかしたら、赤坂御所に一時的に置かれているかもしれない。

4年前の令和元年5月1日に、「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」が行われたのがテレビでも報道されたが、神器はそれぐらい重要なものである。

この奪われた勾玉を、1458年3月に赤松氏が取り戻したのである。赤松氏といえば、赤松満祐が足利義教を暗殺して逃亡し、幕府軍に追い込まれて一族ともに没落していた。

だが、赤松氏は滅亡したのではなく、遺臣が残っていた。

実質的に追放されていたとはいえ、天皇が必要としている勾玉を取り戻したら、再び幕政に復帰できるかもしれない。

そんな考えもあったのか、赤松氏の遺臣は、管領の畠山氏も苦戦を強いられた南朝の勢力と戦い、見事に取り戻したのである。

そして、8代将軍の義政は、赤松氏の功績を讃えて、今の石川県北部にあたる北加賀の守護に任命した。こうして、無事に赤松氏は復帰を果たした。

このとき、義政は22才だった。

以上、第10回まで解説してきた。

1401年からの約60年間、さまざまな出来事があり、特に室町幕府の将軍後継問題が、いかに混乱を招いたかお分かりだろう。

義満→義持→義量→義教→義勝→義政ときたものの、いよいよここから激動の時代になる。

次回は、2月6日に再開する。引き続きお楽しみください。






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