現代版・徒然草【84】(第26段・昔の恋人)
今日は、短めの文章であるが、マニアック向けのちょっとハイレベルな内容である。
古典が苦手な人は、ちょっと理解しにくいかもしれないが、難しい解説はしないので、お読みいただけるとうれしい。
では、原文を読んでみよう。
①風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外(ほか)になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。
②されば、白き糸の染まんことを悲しび、路のちまたの分かれんことを嘆く人もありけんかし。
③堀川院の百首の歌の中に、
「昔見し 妹(いも)が墻根(かきね)は 荒れにけり 茅花(つばな)まじりの 菫(すみれ)のみして」
④さびしきけしき、さる事侍りけん。
以上である。
①の文を分かりやすく解説すると、「うつろふ(=心変わりする)」「人の心」「花」がキーワードである。
風も吹かないのに(=風も吹きあへず)花が散る様子を、慕っていた恋人が心変わりして失恋したことに例えているのである。
その後は、振られたときによみがえる楽しい思い出をイメージしてもらえれば、分かりやすいだろう。
お互い親しく付き合っていた年月を振り返れば、しみじみとした二人の会話の一言一言が、だんだんと日常から離れていく(=思い出が色あせていく)のは、亡き人との別れ以上に悲しいことだと言っている。
②の文では、愛した人が誰かの色に染まることや、一緒に歩いてきた道が分かれていくことを想像して悲嘆に暮れる人もいただろうと言っている。
③の堀川院は、平安時代の第73代天皇であり、彼の父親は白河上皇である。その堀川天皇の治世に編纂された和歌集の中の歌の一つが紹介されている。
昔の彼女の家を通りかかると、垣根が荒れていた。茅花(=花というより雑草に近い)に交じって咲いている小さなスミレの花の寂しさよ。
④の文では、この歌を詠んだ人も、きっと昔の恋人との寂しい別れがあったのだろうと言っている。
古典に慣れるためには、風景を自分の気持ちに重ねて歌を詠んだ平安時代の歌人たちの思いを感じ取ることが大切であり、さまざまな和歌に触れてみるとよいだろう。
古今和歌集に収録された紀貫之や小野小町の歌が、実は①の文の下敷きになっているのである。
【参考】
「桜花とく散りぬともおもほえず人の心ぞ風も吹きあへぬ」(古今・春下・紀貫之)
「色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける」(古今・恋五・小野小町)