歴史をたどるー小国の宿命(90)

後醍醐天皇が隠岐に流されてから、再び舞い戻って実権を握るまでの期間は、誰が天皇として迎えられていたのだろうか。

後醍醐天皇は大覚寺統であったから、その間は持明院統の天皇が、幕府によって擁立された。

その天皇が、光厳(こうごん)天皇である。

光厳天皇は、花園上皇が著した『誡太子書』の内容を、花園上皇から教育された天皇であり、人徳も高かった。

ところが、後醍醐天皇が復権して建武の新政を始めることになると、あっさり廃位されたのである。

光厳天皇が、天皇として在位したのは、約1年半であった。ただ、後醍醐天皇は、復権したあとは、光厳天皇に対して上皇の地位を与えた。

建武の新政が始まって2年後の1335年、にわかに国内が騒がしくなる。

鎌倉幕府が滅亡したとはいえ、北条氏の残党などが信濃を中心に反乱を起こす。その中で、北条時行が鎌倉に突入し、そこを取り仕切っていた足利尊氏の同母弟である直義(ただよし)と戦い、鎌倉を奪還したのである。

しかし、これを聞いた兄の尊氏が、わずか20日で鎌倉を取り返した。

すでに触れたように、後醍醐天皇と足利尊氏はこの頃、対立するようになっていた。そして、後醍醐天皇側にいる楠木正成や新田義貞らとも対立することになる。

のちに後醍醐天皇から尊氏追討の命令が出されるのだが、ここから尊氏が反旗を翻す。

室町時代の幕開けにはまだ時間を要するが、次回は11月7日から再開する。

おかげさまで、このシリーズも、来月には100回を迎えられそうである。






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