原田 瑠美

画家 北海道 札幌instagram @rumi__harada

原田 瑠美

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最近の記事

神の山

本当に美しいもの、本当に心地いいものは 自然の中にしか存在し得ない。 人間の、生き物としてのベーシックな感覚というのは、本来は古くから万人の間で共通しているものである。 それは我々が地球で生存していくためにプログラムされているもの。 人間の力が到底及ばない自然の光景を目にした時、 美しいと感じる。 圧倒される。 だからリスペクトし、崇めてきた。 麗峰、羊蹄。 北海道で暮らす我々にとって その象徴のひとつ。 誰もが美しいと感じ、圧倒される。 先日思い立って一日中、ただた

    • 過去の苦しみとは

      こんな雨の夜に蘇る、 忘れたつもりでずっと抱えて手放せないこと、苦しかったこと、理不尽なこと、 深く閉じ込めたつもりが、脳裏をかすめるだけでも渦に深くのまれていく 明日のために、よりよい自分になるために のまれたくないのに。 終着地はどこにあるのだろう、と考える。 色んな人を見ていて思う。 苦しみを抱え続ける人 辛かった、苦しかった、自分は不憫だ、 「あなたには分からない」 そんな風に言う人 それは、分かって欲しくないんじゃない? 苦しみは、その人だけ

      • 不安をペットにする人

        少し前に聞いた言葉 「あなたは不安をペットにしている」 (私が言われたわけではない) について考えていた 何事にも不安になるけど 不安がなくなるとまた別の不安を探す、 常に不安がないと居られない。 ということ。 「不安」は 恨み、自己否定とか闇的な物全般に言い換えられると思うの。 そしてこの言葉って誰しもとまでは言わないけど 当てはまる人多いと思う。 ネガティブな要素で本人も表面上では疎ましく言ったり それが無くなれば楽だと言ったり 顕在意識では本

          また少し

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          また少し

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          物が壊れる時

          物が壊れる時って 縦続けに壊れませんか。 今日はそのなぜについて ゆるくてきとーに考える。 まず、 私の経験上、 物、特にガジェット系、家電系は 一気に複数壊れる。 そしてそのタイミングは偶然とは思えないくらい、ほとんどが 自分が何かしらの不調を抱えているときで、 更にいうなれば身体的な病気とかではなく 慢性的な疲労やストレス過多の状態の時。 で、 最近の私はというと 4月くらいから動けるだけ動こう期間としていて ずっと時間的にも頭の中もけっこうパンパンだったんですけ

          物が壊れる時

          最近

          アクセサリーの新商品開発などもちまちまとやってるんだけど。 「これ私じゃなくても良くない?」と思うと途端にやる気失くす。 というかやめる。 プロダクトではないので。 (そのような側面もあるけど) 全然楽しくなくなるし価値を見出せない。 「人と違うことをしたい」 とかはよく聞くワードだけど 自分の場合その言葉にはなんか違和感があって 「人と違うこと」に価値があるのではなくて 「自分以外の人でも出来ることに、自分がやる価値を感じない」んだよな。 分かりますか。この違い。

          自分の強さ、自分の弱さ

          私は自分の人生をより良くしたい より自由になりたい それが私の生きる大義であり。 でも自分のためじゃない。 いつか私の生き方を目にする大切な人のため。 そしてより良く生きるためにこの9年間、 自分を知るということにとてつもない時間と思考を費やしている 自分の脳の状態と動き、 必要なこと求めること、不快なこととその理由。 向いてること向いてないこと 秀でたこと、良くないところ 体質と身体の特性。 自分の強さ、自分の弱さ 性格は変わるけど、 人間の本質と性質は変わらない

          自分の強さ、自分の弱さ

          自分の持ってるものに気づくということ

          前に似顔絵を描いたにゃんこさんがお空に旅立った。 今日、飼い主さんに会った時に聞いた。 「瑠美ちゃんの絵があって良かった」と。 突然のことで 火葬するのに遺影の写真が用意出来ず、 部屋に飾っていた似顔絵をそのまま持っていき、今もお骨の横にはその似顔絵があると。 私の絵が何か役目を果たせたなら 良かった。 私は絵描きとして奇抜な発想やずば抜けた才能、 伝えたい世界観などがあるわけではなくて。 じゃあ何が出来るのか、 どうしてそれで糧を得られているのか。 私にできる

          自分の持ってるものに気づくということ

          言霊

          話せば楽になる。 とか、いうけどさ。 それがなんでかって、 楽になるために何かを話すっていうのは 自分が抱えた荷物をひとつ降ろすことなのであって。 じゃあその降ろした荷物は誰が持っていく? それって目の前の、言葉を受け取った相手なんだよね。 自分は言ってしまえば楽になるかもしれないけど、 相手はそれを抱えきれるのか? また違う誰かに渡すのか? 背負わせていいものなのか 適切なタイミングなのか そのキャパがあるのか ということを考えてしまって。 自分はずっと割と重い

          めい的なもの

          試練を自分の力で越えて成長する命(メイ)的なもの。 を、背負ってるということ。 (わたしはね) だからまだ始まったばかりで。 いつも言う、日々精進とはそういうことなんですよね。 望む道と歩むべき道は 一致するとは限らなくて。 ジェットコースターの乗車券しか用意されなかった ほんとはメリーゴーランドにずっと乗ってたいのになって でもジェットコースター乗るしかないしな、って だったら楽しもうってね なんでジェットコースターに乗らされなきゃいけないの、って駄々こねてた時よ

          めい的なもの

          脳みその中で 思考と言葉が絶えず畝り続けて その渦に、気持ち悪くなって その渦から強制的に逃避する手段が どうでもいい漫画やゲームだったのだけど。 強制的にでは無くて自然に気持ち良く 遠ざけてくれるのが 描くこと、作ることだった その時間は意識の全てがひとつの対象に向かうから それ以外のことを切り離せるのが気持ち良くって。 (それを没頭というのであって みんな気持ちいいものだと思うのだけど) もしこの思考と言葉の渦が無い世界に行ったら 私は何も産み出す必要がなくなる

          たからもの

          私の宝箱にはね、 私の作品やステージを見てくれた人や、 だいじな人たちからもらった言葉たちを入れているんだよね。 どこにでも持っていける宝箱。 もちろん、あの世にも。 あの世に持っていけないものに全然興味がないので これは大変素晴らしい宝物たちだと思っている。 私が捨てない限り絶対なくならないし、 劣化することもない。 でもどんなにお金を出しても買うことはできない。 たくさんのお金と交換する かっこいい車や時計やジュエリー、お洋服はこの世にたくさん存在するけど それ

          アドバイスと感覚

          ちょっと尖った内容かもですが、 何年もずーっと思ってることなので書きます。 前提として自分はまじで人の言うこと聞けない人種なんですが。 (心からめちゃくちゃ尊敬してる人の言うことだけは超素直にきく) ものづくりや表現ということをやってると 「こういうの作ったら」とか 「これやったら」とか 助言をしてくださる人がたびたびいる。 まずその意図について 飽くまで所感なんだけどだいたいは ・純粋に応援や私のために言ってくれる ・自分がアイデアマンであったり人脈があることを伝え

          アドバイスと感覚

          後先考えないのはただの無鉄砲なのであって。 過去のことも未来のこともめちゃくちゃ考えるからこそ、 今しかできないこと、今だからできること、 今自分の周りにいてくれるひとたち、 今の自分自身を できる限り大切にしたいなと思う。 それが過去の自分への報いであり、 未来の自分への糧であり、 どれかをおざなりにしてはバランスが取れないのだ。 今を生きるってそういうことだと私は思う。