不安をペットにする人
少し前に聞いた言葉
「あなたは不安をペットにしている」
(私が言われたわけではない)
について考えていた
何事にも不安になるけど
不安がなくなるとまた別の不安を探す、
常に不安がないと居られない。
ということ。
「不安」は
恨み、自己否定とか闇的な物全般に言い換えられると思うの。
そしてこの言葉って誰しもとまでは言わないけど
当てはまる人多いと思う。
ネガティブな要素で本人も表面上では疎ましく言ったり
それが無くなれば楽だと言ったり
顕在意識では本当にそう思っていたり
それを手放すことで人生良くなりますよという人がいたり
でも本当にそうだろうか
私は。
闇を捨てない決意をしている
抱えていくと
それも自分の一部だし
真昼間の直射日光の元で灯りは輝いては見えない
そのコントラストこそ
どうやら自分を自分たらしめるものだったみたいで
だからなんか
そういうものを捨て去ることを進める発言や行為
手放す、とか目覚めがうんたらとかブロックがうんたらとか
そうじゃないって思ってしまう
自分を自分たらしめるものをなぜ捨てる必要がある?
苦しいならまずきちんと向き合って
どのように付き合っていくか、じゃないのかな
愛情と恨みは紙一重だし
恨みは誰かに向けたもののようで
いつかどこかで泣いてる自分そのものだったりする
他人は変えられないし過去の事実は変えられない
捨て去ったって
そういうフリをするだけでいなくならない
いつか必ず顔をだす
だってそれは自分自身だから
殺したつもりでいたって
あなたが生きてる限り彼女も存在する
だったら否定せず
抱きしめてあげるところからはじめたほうがいいよ