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勝ち組が「負け組」になる国

日本には「勝ち組」「負け組」というコンセプトがある。
「勝ち組」という考え方があるからこそ、
必然的に「負け組」という概念ができるかもしれないのだが……。

では、「勝ち組」と聞くと何を思い浮かべるだろうか?

高学歴・高収入・子宝に恵まれる・都心に家を買える
定期的に海外を含めた旅行に行ける……

きっと人それぞれの価値基準があるだろう。

だからこそ、「勝ち」にこだわる人もいれば、
そうではない人もいる。


そういったことにこだわる方々にすれば
やはり大手企業に入って、それなりの給料をもらって、
お金に不自由のない生活をしている人々は
立派な「勝ち組」といえるだろう。


しかし、最近の情勢を見る限り、
その状況が大きく変わっているのではないかと感じる。


増大する社会保険料や物価高にくわえ、
高所得層ほど、税負担も多い。

それは「超累進課税」という税制を採用している日本においては
仕方のないことである。

しかし「高所得層」というのは何かと物入りである。
所得が多いということは、その分選択肢も多い。

だからこそ平均家賃が高い場所に家を買うケースや、
それなりの車などを買うケース。

そして家族(子ども)がいるのであれば、
子どもの教育費もそれなりにかかる。

特に小学校から一貫して私立に通い、塾にもいくとなると、
いくら高所得層とはいえ、
「余裕がある暮らし」とはいえないだろう。

そこに更なる税負担や物価高が襲ってくるのである。


人よりも努力し、幾度となく競争に勝ち進み、
やっと手に入れた状況が「決して余裕がある」とはいえないのである。

その人生、本当に「勝ち組」なのか?

私はここまで努力してきた方々を煽ってるわけではないし、
そんなつもりもない。

努力してその地位を得られた方々は尊敬している。

が、それに見合う生活を送れているのか?
そのリターンは十分にあるのか?と考えると、
とてもそうとは思えないのである。

もちろん私は「勝ち組」側ではない。

正直都会の家一軒が億近くするような都心は人が多すぎて住みたくない。
都会はたまに遊びに行く方がイイ……くらいの感覚で生きている。

生活費だって特段のことがない限り月10万あればかなりのおつりが来てしまう。短い会社員人生だったが、毎月10万円つみたてNISAに貯蓄していたくらいである。

私の例は極端だし、真似しろと書きたいわけではないが、
このような生活をしている身からすれば、
たくさん努力しているのに、子育てやら家のローンで
首が回らなくなっている方々を眺めていると、
なんだかなぁという気持ちになるのである。

なぜ努力した人々は「理想の生活」を実現しようとして、
想像以上に大変な思いをして、
私のような世間体をロクに気にせず、フラフラしているのは
たいして苦労もせずにそれなりに楽しく生きているのか……
まったく謎である。

「勝ち組」と呼ばれていた人々には、
もはやその言葉に会った生活を送るほどの余裕はないのかもしれない。

いつのまにか、「勝ち組」ではなくなってしまったのかもしれない。

むしろ、失礼を承知で書くが、金銭的にも精神的にも余裕がない、
「負け組」に近くなっているのではないだろうか?

想像を絶するほどの努力をした結果がコレである。

やはりこの社会は、少しずつ何かがおかしくなっているのかもしれない……


※画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。
ステキな画像をありがとうございます。

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