開巻有得〜世界へのかかわり方〜
私が「自分に責任をもてている」という自負心をもって
ポジティブにアクティブをやっていた頃の頭の中を
代弁するような本と出会いました。
その内容に、「わかる!!!」と興奮状態になった
思い入れのある本がこちらです。
橋本治著『「わからない」という方法』
「わかる」ために、
自分が「わかっていない」ことを素直に認める。
それが、実務家であるためのスタート地点だと
私も思います。
この膠着状態が、私が感情的に嫌いなことです。
うっかり飛び出したこともありました。
しっかり生贄になったと思います。
シンパシーは同情、エンパシーは共感。
同情は
「彼のいうことの中に自分の経験を思い出して同調すること」、
共感は
「相手を自分と同一視せず、彼の心情を慮って惻隠すること」
を言うそうです。
私は、以下の開き直りに、自分の身に起こった経験を思い出しました。
…シンパシーの方ですね。
私が事務員としてこの感覚を経験した時は、
職場をまともに機能させなくてはという切迫感
(と、仕事に没頭することの気持ちよさ)から
かなりその仕事にのめり込んでいたんですが、
パートさんから空き時間にする仕事はないかと聞かれて
対応できずに立ち往生することがしばしばありました。
その職場での
私にとっての「仕事」は、
「よくわからな」くても
やらざるを得ないから
毎日学ぶつもりで必死に喰らいつき、
そうした学びを積み重ねていくことで
いつの間にか対応できるようになっていた
ものでした。
「わかっていない」ことが恥ずかしいという風潮も
確かにあったので
「自分が今わかっていない」ことを開示する代わりに
「教えてもらったらしっかり覚える」と請け負うことで
信頼を得ようとしていました。
そのための工夫として、
「わかる」ために、
作業工程の道筋を記録していたのが
のちの引き継ぎの時に役に立ちました。
ただ、日々目前の仕事に追われる中で、
立ち現れてくる問題に対応した後
どうなるかを予測することはできませんでしたし、
何が今稼働していない(誰もしていない)仕事で、
何が動かしておいた方がいい仕事なのかを
把握することもできませんでした。
何かが起こったその場面では理解や対応ができず、
時間差で思い出したり理解したりして
「なぁんんでぇ、今!!!!」
と歯痒い思いをしたこともあります。
当時は、
確かなことが言えないことへの申し訳なさ
みたいなものに取り憑かれ、
ひとり反省会の時に
重箱の隅を突くような改善案を捻出したりしていましたが
2年越しに本書を読んで、
「平気でなんにもわからない」で良かったんだと
思わず頬が緩みました。
その職場を退くに至るまでの出来事と、
それに付随する苦い記憶を思い出して
仕事にのめり込もうとするのを
自分で制限する思考が湧くこともあったからです。
こういうやり方でいいなら
私はきっと納得した仕事ができると思いました。
自分の仕事と思っていれば、
「一人で地を這う」こと自体は、大歓迎なんですから。
2024年2月14日 拝
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