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"おもかげ”をうつす ー 「ウマ娘 プリティーダービー」
冒頭から泣いていた。
(なんで?なんで?)
第4コーナーをまわって直線に入ったとき、いつも馬の気持ちが迫ってくる。それは見ている人間側の勝手な解釈かもしれないけど、そう見える、そう思う。
この映画も、ジャングルポケットの勝利後の嘶き(いななき)がきっと映画製作の芯の一つになっていると思う。
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第68回東京優駿にて
(2001年5月27日)
wikipediaより
そうなんです。人は馬の気持ちがわかる(気がする)。
それは『小栗判官』の時からすでにそうで、日本の一番古い書物である『古事記』にも馬が出てくるし、古墳から出土した馬の埴輪もあって、太古から人にとっての馬は同士のような存在でした。
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ちくま文庫
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ちくま文庫
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ちくま文庫
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岩波文庫
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岩波書店
『古事記』では、スセリ姫の嫉妬になんかもうやりきれなくなったオオクニヌシが、倭国に行こうとして馬に乗り掛けている場面があります。
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岩波文庫
またその神の嫡后須勢理毘賣命、甚く嫉妬したまいき。故、その夫の神わびて、出雲より倭國に上りまさむとして、束装し立たす時に、片御手は御馬の鞍に繋け、片御足はその御鎧に蹈み入れて、歌ひたましく、
「須勢理毘売の嫉妬」
オオクニヌシは馬に乗り掛けたまま、去り際にスセリ姫に向かって長々と心境を歌います。
それを受けたスセリ姫は、「あんたはそう言うけど」と男の論理と女の状況をきっぱり歌い放つのです。結果、二人はお酒を飲んで仲直りをしました。
オオクニヌシの馬はこの一部始終を聞いているのです。
そうなんです。馬は人の秘密の場面に立ち会っていることが多くて、お釈迦さまだって、城から家出する時に馬に乗っていました。
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鎌倉時代
根津美術館所蔵
国にとっても、馬はとても大切で大事な存在で律令国家のスタートを切った大宝律令(701年)では、左馬寮・右馬寮が設置され、諸国の牧から貢上された朝廷保有の馬の飼育や調教にあたりました。
平安時代になると、馬に乗る武官は宮中でも花形の存在で、『伊勢物語』の業平も『源氏物語』の光源氏も夕霧も、近衛府の中将や大将になって、キャーキャーされています。
特に五月は平安の昔から競い馬の季節で、「日折(ひをり)」と言って左近衛や右近衛の舎人が、近衛府の馬場で競べ馬や騎射(うまゆみ)を行いました。
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九十九段 「右近の馬場のひをりの日」
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第二十五帖「螢」
「つかさの手番のついでに男ども引きつれて」
*近衛府の競い馬
そして源氏や平氏の武士たちが台頭し出した平安時代の後期には、保元・平治の乱の絵巻や『平家物語』にも馬の活躍する様子が活写されています。
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「常葉、清盛の六波羅館へ参る」段より
『続日本の絵巻17前九年合戦絵詞 平治物語絵巻 結城合戦絵詞』
中央公論社 1992年発行
平治の乱で源氏は敗れます。三人の子を連れて平家の追っ手から逃れる常盤は22歳。見れば、急にストップさせられたような馬の脚の様子。
生まれたばかりの赤子(牛若:のちの義経)を抱きながら片手で馬の手綱を自在にさばくなんて、さすが源氏の棟梁・源義朝の思い人と思わせます。
それにしてもヒロインは白馬というのは古今東西の定番なのでしょうか。
また、清盛や義朝と同世代の西行も北面の武士だった頃にこんな歌があります。
伏見過ぎぬ 岡屋になほ とどまらじ 日野までゆきて 駒心見ん
1438
新しい馬(駒)を手に入れたのでしょうか。京都の南にある伏見、岡屋、日野の位置を確かめると、西行(俗名:佐藤義清)が馬を駆る様子が眼に浮かぶようです。
そして、「試みる」のもとは「心を見る」ということだったのですね。
馬の心を見る。
こんな風に、人は「馬の心」に心を寄せて行きました。
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岩波文庫
その後も左右の馬寮の職は武士の憧れの官職となって、江戸時代には右馬寮の御監(最高職)は徳川将軍が兼帯する官職として徳川慶喜まで続きます。
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土佐光信
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室町時代
そして第2次世界大戦後、再び「馬のこと」は、日本国政府が資本金の全額を出資するJRA(日本中央競馬会)に伝統が引き継がれ、農林水産省畜産局競馬監督課の監督のもと競馬が行われています。
*
*
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だけど、
そんなこともあるけれど、
泣いていたのはそこではなくて、
この『ウマ娘』が見せ付けてくれ続けているのは、日本古来からの方法である「”おもかげ”をうつす」というもの。
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「ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉」
(シネスコープ 1時間48分)
プログラム背表紙より
「おもかげのうつし」の現在進行形の真っ只中にいる!
そのことに心が震えて、私は泣いていたのです。
和歌の本歌取り、連歌や連句、十二単から繋がる和服のスタイリングなど、これらはすべて「おもかげをうつす」という方法が駆使されています。
今の中央競馬には、日本人と馬とのこれまでの関係性や、”血”というものへの日本人の見方が全て凝縮されていて、「サンデーサイレンス」一族に、藤原氏の全盛期を築いた「道長」一族を重ねてしまうのです。
こんな風に、だんだんと馬と人の境目がなくなって、レースの馬の様子を見るたびに「馬自身の気持ち、思いを表出させたい」という気持ちになってしまうのがよくわかる。
そんなところから「ウマ娘」が誕生したのでしょう。
馬から娘への「うつし」をとことん遊ぶ。
それもとても丁寧に、そして慈しむように。。
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こうして、「ないもの」が「あるもの」になる。この感じに、全然違和感がないのは、やっぱり日本の奥底にこうした感覚が脈々とあるからだと思う。(今回のこの映画でなんだか確信しました)
生まれて3年目に7000頭の頂点に立つ。
その馬の一生を、その一族の行く末を見守る。
そしてまたつぎつぎと新馬が誕生してくる。
こうした生きるモノの「勢い」の趨勢をみせてくれているのが競馬。
そんな馬それぞれの物語が「ウマ娘」に綿密にうつされてゆく。
今ではもうどの馬も「ウマ娘」になりたがっているのではないかと思うほど。
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オグリキャップ
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アドマイヤベガ
日本では古来から一番深い畏敬と畏怖を集めたコンセプトが稜威(厳:いつ)と呼ばれる「なりゆくいきおい」。
そこには、女も男もない。
第4コーナーを回り直線に入って「仕掛ける」瞬間、なにかが炸裂する。
その様子は、アマテラスの荒御魂ともいわれる撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまのあまさかるむかつひめ)の降臨を、馬もウマ娘もまざまざと見せつけるのです。
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2024 劇場版「ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉」
(シネスコープ 1時間48分)
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