『バナナフィッシュにうってつけの日』(『ナイン・ストーリーズ』より)
『バナナフィッシュにうってつけの日』(『ナイン・ストーリーズ』より)
サリンジャー著
なかなか、難解な物語なのだけどね。まず、主な登場人物は、
1. シーモア:主人公。、感受性豊かな帰還兵で、現代社会に馴染めず、ないでいる。
2. ミュリエル:消費主義に染まったシーモアの妻。
3. ミュリエルの母:自分の生活やファッションにだけ興味がある。
4. シビル:幼い女の子で、純真さの象徴。
5. シビルの母:娘に無関心でゴシップ好き、無責任さの象徴。
あらすじ
戦争で心に傷を負ったシーモアの一日の出来事で、最後は、究極の選択をする。
キーワード
①『バナナフィッシュ』とは?
現代社会における俗物や欲望や消費のメタファー。バナナフィッシュは、穴の中でバナナを食べすぎて太って出られなくなり、最終的にバナナ熱で死んでしまう魚。バナナフィッシュは、金や酒やセックスやゴシップなどのバナナに満足できない人々を象徴している。
②シビルが「ちびくろサンボ」に登場する虎を「たった六匹よ」と言うことの意味
「ちびくろサンボ」は、インドの少年が虎と出会って冒険する物語。物語の中では、虎は七匹登場するのだけど、最後にはバターになる。シビルは、虎の数を六匹と間違えている。それだけなら、子供らしい間違いと思えますが、彼女は「たった六匹よ」と言う。これは、虎の数が少ないと不満に思っている。彼女は、虎が危険な動物であることや、バターになってしまうことに対して、感情や想像力を持っていません。彼女は、物語の中の虎を単なる数やオブジェクトとして見ており、それが多ければ多いほど良いと考えている。彼女は、現代社会の消費主義や物欲に染まっており、満足できない女の子になっている。
③「バナナフィッシュにうってつけの日」とは、どんな日だったのか?
結局、これが、物語そのものなのだけどね。
その日とは、シーモアの妻ミュリエルが、母親と電話で自分が買った高級な服や靴やコートなどについて語りあった日であり、現代の消費主義や物質主義に染まって、自分の幸せをそれらに求めている日。その日は、泊まっているホテルに、広告マンという現代社会の浅薄さや虚偽さを象徴する人間が、97人も滞在している。彼らは、人々に不必要なものを売りつけたり、人々の欲望を煽ったりすることで生きている。
ビーチで出会ったシビルの母親は、友人とゴシップ話をしながらマーティニを飲んで、自分の娘に関心なく、自分の楽しみに夢中な、無責任さや退廃さを象徴した日。
この日は、現代社会における俗物や欲望や消費が目立つ日であって、だからこそ、「バナナフィッシュにうってつけの日」なのだった。
まとめると
シーモア・グラスは、第二次世界大戦で心に深い傷を負った帰還兵。そして、欲望や消費社会に自分の居場所を見つけられない。自分を理解してくれる人がいないと感じて、妻や母親や他の人々とのコミュニケーションにも苦労する。自分の感受性や知性や想像力を発揮できる場がなく、現代社会の浅薄さや虚偽さに嫌気がさす。
シーモアは、ビーチで出会った幼い女の子シビル・カーペンターに心を開く。シビルは、シーモアの名前から言葉遊びをしたり、バナナフィッシュの話に興味を示したりする。シビルは、シーモアにとって無邪気さや純真さや創造力の象徴で、彼が失ったものを思い出させる存在だった。しかし、シビルもまた、現代社会の影響を受けており、他の女の子に嫉妬したり、「ちびくろサンボ」に登場する虎を「たった六匹よ」と言ったりする。シビルは、シーモアに一時的な慰めを与えるが、彼の根本的な問題を解決することはできない。
シーモアは、そんな人々とは違う価値観や生き方を求めているのだけど、それが叶わないことに絶望する。
そして、物語の最後で、シーモアはホテルの部屋で自殺する。その自殺は、彼が現代社会から逃避する唯一の方法だと考えた結果だった。自分に合わない社会に順応することも反抗することもできず、自ら命を断つことで自由になろうとする。
「バナナフィッシュにうってつけの日」すなわち現代社会を象徴するその日に死ぬ。
そういう意味で、この物語のメインテーマは、戦争と現代社会における孤独と疎外感ということになるのだろう。
eloise tired now