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おばあちゃんの、デジタルお見送り

祖母が亡くなりました。

なんと、コロナで第一親等や近隣者のみの葬儀参列となり、
私は直接のお見送りができません。
「こんな時までコロナって、、、」
驚きと悲しみ、一抹の不安を腹の底に抱えながら同時に、コロナ渦も2年目となると早々に「切り替えが必要」と意識が働くようになっていました。

遠方へ会いに行けない分、週末は予定をキャンセルして
祖母のことを考える時間をとることにしました。                 

それなのに、全然実感が沸きません。
会えないせいなのか、現場で人と分かち合うことができないからか。
距離に阻まれて、祖母との繋がりが感知できないようなのです。   

思い立って、ストリーミングサービスで、「おばあちゃんが活躍する映画」「サマーウォーズ」「西の魔女が死んだ」「おばあちゃんの家(韓国)」
三作を一部見てみました。
これは祖母が亡くなったことに対する感情を想起させ、
祖母との個人的な想い出の断片を呼び覚ますのに役立ちました。

母が LINE VIDEO で様子を送ってくれて、
安らかな顔をみて安堵することもできました。

肌感覚を、温もりを、情報で補うデジタル時代。
情報の蓄積と共に一歩ずつ「実感」を得るなかで、
「理解している」と「違和感」が混ざり合う、不思議な体験です。

祖母との「脳内コネクション」が段々リアルになる
手ごたえを感じながら、私は、大人になって
祖母と少し疎遠になってしまっていたことに思い至りました。

幼少期は両親に連れられて、定期的に祖母を訪れていたはずなのに、
独立後ももう少し関わりを持てばよかったかな。                私の住んでいる東京の家には写真も置いていないことに気づかされました。                         これが「遠くの親戚より近くの他人」という暮らしなのでしょうか。

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でも、焦燥をこらえて目を見開けば、                 小さな鉱石の欠片のような煌めきも見つかるのではないかと。           

そうして手繰り寄せた記憶では、                              毎日腹筋をやっていると言ったり、                 180度 の開脚も見せてくれたことがありました。
サーフィン、ヨガ、山登りと、私が身体を動かすのが好きなのは、
祖母譲りかもしれません。

享年97歳 、図らずも健康志向全盛時代を迎えています。
これからの人生100年時代、どうしたら謳歌できるんだろう、
なんて、話してみたかった。   

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祖母がいた田舎はかつて、
「大家族で近所・親戚づき合いが当たり前」の社会でした。
当時なら私の不義理っぷりや、LINE でお見送りなんて投石もののはずです。

そこへ産業の盛衰と共に時代の波が押し寄せて再開発が行われ、
コミュニティは地域から家族単位へ。そして家族は小さくなり、
個人の嗜好は細分化されて、人付き合いは「取捨選択」の時代へ
変貌を遂げました。                        

祖父は随分前に亡くなり、変化する社会の中で、
祖母は寂しい思いをしたこともあったかもしれない。
でも、ほんの時々会うだけの孫の私には優しい笑顔で、
私のことを色々と聞いてくれただけでした。

変化をどう感じて、どんな気持ちで過ごしたのか、
コロナの渦が時代の変化を加速させた今こそ、聞きたいこと、話したいことが沢山あることに気がつきました。

「ところで、おじいちゃんが亡くなったあと、恋人はできた?」

祖母と私の間にあったものは深く濃くはなかったかもしれない。
でも、確かにここにあって、柔らかく暖かい絆です。
「デジタルお見送り」なりに、私の大切な支柱のひとつを
確かめることができました。                  

私がおばあちゃんになる頃には、                   今より人付き合いのデジタル化がすすんでいるでしょう。
お葬式に来てくれるのはみんなアバターだったりして。          それはそれで楽しめるといいね。

まずは運動が出来るおばあちゃんを目指そう、出来る限り。        移り行く時代を逞しく生き抜いた祖母を見習って。

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