
今日は書けないことについて書きます
ロケスタ所属エンジニアの酒井です。
毎週note記事をひとつ書くことにしていて、書ける時は嘘みたいに本当にすらすら書ける。あれは本当は嘘だったのかもしれない。
でも、今日みたいに本当に何も書けないことがある。実際には書きたいことがあって、そのネタで何回か書き始めてみるのであるが、どうしても途中で筆が止まってしまうのだ。
こういうときは本当に何も書けなくて、時間ばかりが過ぎていくので、今度は早く終わらせたいという焦りがどんどん雪のように積もっていく。
雪でなくてもいいが「変化が見えるようでみえない、かつ1時間後には結構すごいことになっている」という意味では「雪のように積もる」に勝る表現がないので取り急ぎ、これでよしとしたいと思う。
つまり「書けないことについて書くしかない」というところまで追い詰められている。
実は、こんなふうにネタに困ったら困ると思って普段からネタをメモにしてあるにはあるのであるが、結局きちんと記事にできるネタがあるかというと、それはまったく別の話で、ネタ帳というよりも、記事になりきれなかったネタたちの残骸の墓場になっているといったほうがより正確である。
例えば「サラダにパイナップル」「豚汁にサツマイモ」といった、いったいどうしたらいいのか分からないような難易度の高すぎるネタが転がっているかと思うと「昔は新聞は必ず後ろから読んでいた話」「昔は映画の展開についていくのが苦手だったのでサスペンスなどは意味がわからなかった話」といった個人的すぎて「だからどうした・・・」と突っ込むより他にないようなネタまで、見るも無惨な光景である。
なかでも燦然とした輝きを放つのは「ヨーグルトの話」とだけ書かれた一行。
もはや自分が何を書こうとしたのかすら思い出せず、といった顛末で、自分が好きなビオについて書けばいいのか、それともヨーグルトの白さについての哲学的な論考でも書けばいいのか、私でも途方にくれる有様であるが、いつかはこれらのネタもきちんと練り込んで記事にしたいという野暮な野望だけはきちんと心に秘めておこうと思っている。
それでもこうやってなんとか書こうと必死に足掻くのは、ここで書かないと止まってしまうということを経験から知っているからである。
やはり人は習慣によって形作られるものだ。
うまく行かない時、あるいは自分の気持ちが乗らないときこそ、何とかしがみつくべきだと思っている。
例えば、1,000ページの本をどうしても読みたいとする。1日に10ページ読むことを毎日続ければ100日後には読み終わっている。つまり4ヶ月以内だ。
ところが、どこかで1日お休みしてしまうと、1日が2日となり、2日が3日となり、3日はやがて1週間になる。何回もこうしたことが続くと、習慣が習慣でなくなってしまう。
一日あたり例えば1ページしか読めないのであれば、1ページでよい。つまり自分にとって現実的であればよい。でも、その目標は毎日クリアしていく必要がある。
地道だけど1,000ページ読み終えた時の達成感はChaTGPTの要約では到底味わえないものだ。
自転車は走り続けないと倒れてしまう。漕ぎ続ける必要がある。
だから、こうして漕ぎ続ける。
何かを習慣にするのは本当に大変だけど崩れるときは一瞬だ。
だから苦しい時は無理矢理にでもしがみつく。
そうしたらきっと、いつかヨーグルトについて何か面白い話が書けるようになるかもしれない。
書いた人:酒井
ITエンジニア。C++, VB, C#などを使ったプログラミングをシステム開発会社で10年間以上経験した後、ロケットスタートに転職。kintoneのカスタマイズはじめロケスタのIT部分に幅広く携わる。
私の記事はこちらのマガジンにまとめています。