あの人が好きで、コップがいっぱいだったのに。
自分にとって、人を好きになる基準ってなんだろう。
好きになった人って、どんな人だったんだろう。
考えれば考えるほど
二重で目がぱっちりしている
優しくて思いやりがあった
服装がおしゃれだった
とか、ありふれた答えが浮かんでくる。
それでも、今まで、付き合ってきた、本気で好きだったひとに共通しているイメージがある。
それは、100%、その存在に無駄なところや欠けているところなどなく、自分の価値観に沿って、まるごと好きになれるという感覚だった。
表面張力ぎりぎりでいっぱいに満たされているコップみたいな、
それより少なくても、多くてもだめ。
汚れのない、神聖なもの、とも言えるかもしれない。
自分の中で、100%の基準となる、
服装とか
清潔感とか
性格の素敵さとか
そういったものが、最初から自分のなかにあるコップに、ぴったりといっぱいに収まっているひとを、僕は好きになってきた。
最初から決まっている訳では無いが、急に、
「このひとはいっぱいにコップが満たされている感じだ」と気づく瞬間がある。
注がれていっぱいになったりすることはなく、気づくその瞬間まで、それまでコップの存在に気づいていないみたいに。
そのコップの存在に気づいてしまったら最後、
そのコップの容量は、変化することがない。
最初から、なんか気になる部分があったり、
平たく言えば顔が好みでなかったり、清潔感のどこかしらかが欠けていたりすると、そのコップは8割くらいの容量で現れてくる。
いくら整形して好みの顔立ちになってたとしても、清潔感を見直して髪型やら生活態度を改めたとしても、そのコップの容量は変わらない。
第一印象とイメージは変わるが、
そのひとの履歴書が書き換わることは詐欺でもしない限り変わらないのと同じで、自分の中に存在する、そのひとのコップの容量は変わらない。
コップの容量は変わらない。
そう思っていた。
最近、好きだった人のコップの容量が、減っていたことに気づいた。
注がれることはなかった。だから容量が変わることはないと信じていた。
だけど、いつの間にか減ってしまっていた。
注がれることがないのであれば、今後それを飲みたいと思えるときがくるのか、僕にはわからない。
なんで減ってしまったんだろう。
中身は蒸発してしまったんだろうか。
そのコップがいっぱいに満たされているときに、すぐに飲み干せないのであれば、手に取らないほうがよかったのかなと、思う。
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