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【書評】『楽園』(鈴木光司)を再読し、人間の自由意志について考えた。

ロッシーです。

鈴木光司の『楽園』を読みました。

う~ん、『楽園』はやっぱりいい!

最初に読んだのは、高校1年生のときでした。

本当に面白くて、読み終わるのがイヤだった記憶があります。
それ以来、もっと面白い本を探し求めて乱読するようになりました。
そういう意味では、読書人生のきっかけとなった1冊なのかもしれません。

それから20数年が経ちました。

なぜだかわかりませんが、また無性に読みたくなったので図書館で借りて読んだのですが、当時と同じ感動を得ることができました。

若い頃に読んだ作品を、年を重ねてから読んだ場合、自分自身の解釈や捉え方が変わっているため、当時とは別の感想を抱くことが多いです。

しかし、なぜかこの『楽園』にはそういうことがありませんでした。

おそらく、「愛」という時代を超えても変わらないものをテーマにしているからなのかもしれません。


それとは別に、『楽園』には人間の「自由意志」も別のテーマとして描かれているのかなと思いました。

『楽園』という物語をざっくり一言でいうと、「太古の昔に別れ別れになったパートナーが、再び膨大な時の流れの後で、再開を果たす」というものです。

しかし、再開を果たしたのは、彼ら(その子孫)の意思の結果なのでしょうか。

それとも、大いなる何らかの力(巡り合わせ、縁、運命など)が働いた結果なのでしょうか。

もしそうだとしたら、彼ら(その子孫)には自由意志などそもそもないのでしょうか。

最近では、「人間には自由意志はない」という言説が巷に溢れていますし、科学的な根拠も述べられているようです。

現時点での科学では、もしかしたら自由意志はないという結論になるのかもしれません。

でも、もっと科学が進めば、やはり自由意志はあるという結論になるのかもしれません。

いずれにしても、自由意志があるのかないのかの問題は学術的には興味深いですが、実生活を送るうえでは「自由意志がある」ということを前提としたほうが、人間社会はうまくWorkすると思います。

つまり、お金や会社といった共同幻想と同じで、自由意志というのも共同幻想として必要なのだということです。

もし、人間に自由意志がないとしたら、今この記事をパソコンで入力している私という人間は、自分の意思とは別の何らかの力に動かされていることになります。

しかし、その割にはたいした内容の記事ではないわけです(笑)。

『楽園』という物語を創造した鈴木光司さんとは比較にならないレベルの違いがあるわけです。

それってやっぱり本人の力の差、つまり自由意志に基づく力の差なのでしょうか?

それとも、私は物語を創造する「大いなる力」に選ばれず、鈴木光司さんは選ばれた、ということなのでしょうか?

そもそも、この『楽園』をまた読もうと思ったのは、私の自由意志なのか、それとも「大いなる力」に導かれた結果なのでしょうか?

というか、自由意志がない存在の私が、自由意志があるのかないのかを考えることができること自体、自由意志があることにはならないのでしょうか?

うーん。だんだん疲れてきました。

まあ、最終的にはどっちでもいいんでしょうね。

「大いなる力」に恵まれた人の作品を、こうやって読むことができるわけですから、それで十分な気がしてきました。

自由意志があるかどうかとは関係なく、今を楽しめばいいのでしょうね。
この世が楽園かどうかは、あなたの心が決めるのでしょう(なんちゃって)。


とにかく、『楽園』はおすすめです。

鈴木光司は、『リング』の作者、というイメージがあまりにも強くなってしまっていると思いますが、私は彼の作品では『楽園』路線のものが好きです。

ぜひ、今後もそういった作品を「大いなる力」のもとで、創造し続けてほしいです。

最後に、『楽園』から好きなセリフを引用します。

「戦え!まずもっておのれを取り巻くすべてと戦え!」

最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading !

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