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希望を見失う
イライラというのか、鏡で自分を見るとゾッとするというか。
頑張って希望のある状態を維持したいと思うのだが、原因のあるイライラに侵食されてどうにもならない。
私は双極性障害だが、イライラすると食欲が無くなる。睡眠も短時間になる。
原因は、10時間労働だったり、人手が少ないなかで何とか業務を終わらせなければならない苦労や、自分の人間性を蔑む入居者が居ることだ。今一番嫌なのが、入居者に関することだ。「人の苦労も知らないで」
と本当に嫌な気持ちになっている。身体の世話をしてもらっていながら他人に変に厳しい高齢者というのは本当に嫌なものである。私が排便の世話を受けていたとしたら、そんな風に意地悪な話はできないんじゃないかと思うのだが、むしろ排便の世話を受けているから、介助している側を蔑むのかもしれない。その人は、私に限らず人を悪く言う傾向があるので、そういうものだと割り切るしかないのかもしれない。
仕事が嫌になっても、私ができることなど他に見つからないのも、実に希望がない。
双極性障害で精神障害者手帳2級なので、それに合った何か暮らしかたがあるのかもしれないが。。。
生きていて嫌なめに遭わないことのほうが少ないし、世の中には私以上に苦しんでいる人びとがいるのだから、忍耐するしかないのだろうけど。
私の今の唯一の息抜きが、コーヒー豆を挽いて淹れること。
美味しいコーヒーを飲めることに希望を持つ。
生活保護になったら高いコーヒー豆なんて買えないし。
でも、引きこもっていたいなぁとも思う。あまり他人と関わらずに暮らしていたいという気性なのだ。これは中学生頃からそうなので、43歳に性格を変えろと言われても直せない難しさがある。
小学生の頃は沢山の発想を持っていて、色々楽しく過ごしていたような気がする。幼なじみに不機嫌になりやすい子が居て振り回されたけれど、小学生時代は仲間がいて豊かな時代だったと思う。
去年の12月に「生きる希望がほしい」と、自分のYouTubeに声だけで投稿していたので、とっくに希望なんてものは見失っていたのだけれど、ラツーダという双極性障害のうつを良くする薬が効いて、初夏から秋まで割と元気に過ごしていたと思う。
こうして書いていると、仕事の嫌なことも気持ちの整理がついてくるような感じもある。
鏡を見るとゾッとする症状を何と呼ぶのか分からないが、自分を気持ち悪く思う気持ちになるのはしんどい。
それが高まるとキ◯ネンリョというやつになってしまうから。行動に変わりかねないし、双極性障害というのは◯サツ率が高いから。。。
今はイライラとの闘いなのだけど、10時間労働の疲れで昨夜はオランザピンとラツーダを服用しないでしまったんだ。
それも良くない。。。
午後4時半で窓の外は暗闇。
英語の勉強を、これからしようと思うのだけど、生き別れの母と会話するには英語しか方法がないことを考えてモチベーションを上げようとしている。
でも、私の記憶はザルだから覚えられなくて残念だ。
ああ、働きたくない。。。