多様な学問を多様なスタイルで〜『学ぶということ』
◆桐光学園、ちくまプリマー新書編集部編『学ぶということ 続・中学生からの大学講義1』
出版社:筑摩書房
発売時期:2018年8月
ちくまプリマー新書と桐光学園の共同によるシリーズ企画〈中学生からの大学講義〉の一冊です。登場するのは、内田樹、岩井克人、斎藤環、湯浅誠、美馬達哉、鹿島茂、池上彰。
それぞれの講義内容は大半がこれまでの著作で展開してきた自説をわかりやすく話したもので、その意味では個々の講師陣をよく知る読者には新味はないかもしれません。
内田は「生きる力」について語ります。「生きる力」とは何か。それはいま自分が持っている能力のことではありません。「いま持っている自分の能力を高める方向がわかる力」のこと。それは人との出会いでしか高まらないという。生きる力が強い人は、出会うべき人に出会うべきときに出会う。その意味では、それは「他者の支援を自分のまわりに惹きつける力」とも言いかえることができるでしょう。いささか人生訓話めいた結論ですが、若い人にはえてしてこういう話の方が印象に残るのかもしれません。
岩井は、経済学の観点からおカネの謎について迫ります。おカネは何故流通しているのか。物理的根拠はありません。おカネに価値を与えているのは「皆がおカネだと思って使うから皆がおカネとして使う」から。おカネの信用はそのような自己循環論に支えられています。それは言葉の流通にも共通することだと指摘して話を膨らませていきます。
おカネも言葉も人々に自由を与えるが、その一方でさまざまな危機も招く。そのバランスをどうとるかが重要な課題となります。それが経済学や人文科学の目標でもあるのです。学ぶ意欲を喚起するような巧みな構成だと感心しました。
精神科医の斎藤は、コミュニケーションと承認の問題について論じています。階層を前提としたキャラ文化は、いじめやいじりなどの歪んだコミュニケーションをもたらします。また現代では他者からの承認が高い価値をもちますが、本来は人間の価値は承認のみで決まるわけではありません。
結論的に説かれるのは、自分が置かれている「状況」を自覚すること。承認を得ることより人を承認することから始めること。そして無条件で自分を大事にすること……。個人主義は民主主義の礎です。個人の自由や権利が価値をもつということは、同時に他者もまた尊重されるべき存在であることを示すものなのです。
社会活動家の湯浅は「働けないと思われていた人も、働ける世の中」を目指すソーシャル・インクルージョンという概念を紹介します。誰の言葉の引用かはわかりませんが、「人間は読んだことの10%は覚えている。聞いたことの20%は覚えている。見たことの30%は覚えている。自分で言ったことの80%は覚えている。自分で言ってしたことの90%は覚えている」という一節が印象に残りました。
最初は誰しも自転車に乗れないけれど、やってみて初めてできるようになる。そんな風に自分の力が引き出されるのが「学ぶことの本当の意味」だとまとめます。
医師であり医療社会学者でもある美馬は「リスクで物事を考える」ことを提起します。死亡率の低下に関して医療の進歩よりも人が病気にならないように健康を作りあげてゆく政治社会的営み(上下水道の整備などのインフラ整備)の要素の方が大きいことを指摘しているのはなるほどと思いました。
また人間は、利益になることについては安全性指向、損になることについてはリスク指向を働かせる傾向が強いという話もなかなか興味深い。脳科学的にいえば、直感的に働くシステムと自分で計算して答えを出すシステムが作動しているということになります。二つのシステムをいかにうまくバランスよく働かせるか。「コンピュータと違って、矛盾してもフリーズしたり壊れたりしないのが人間の脳のよいところ」なのです。
鹿島は「考える方法」について考えます。エマニュエル・トッドの家族人類学を下敷きに、社会が核家族型か直系家族型かで異なる思考スタイルをもたらすことを解説していきます。前者では子どもが独立した時点でそれぞれの人格を認めあって、互いに干渉しなくなる傾向が強い。後者では子どもが成長しても親はそのうちの一人と同居することが多い。
意識のレベルでは、核家族とマネー資本主義で世界中が支配されているのだが、無意識レベルでは集団的な考えが残っている、そこに軋轢が生じているというのがトッドの認識らしい。
ちなみに日本は直系型家族類型で、その名残りとして「自分の頭で考える」ことをしない傾向が強いといいます。鹿島はデカルトを引用して懐疑的な思考スタイルを説いていますが、そのくだりはいささか複雑な理路をたどるのものの、考えることをめぐる考察はそれなりにスリリングです。
最後に登場する池上の話は自己の体験談をもとにジャーナリズムの世界を紹介しています。失礼ながら散漫且つ凡庸な内容で、他の講義録に比べるといささか読み劣りがするというのが率直な感想。ジャーナリストの武勇伝というものは概して面白くないものです。若者の受け止め方はまた違うかもしれませんが、私には退屈でした。
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