男の論理を解体する〜『ケアの倫理』
◆岡野八代著『ケアの倫理 ──フェミニズムの政治思想』
出版社:岩波書店
発売時期:2024年1月
人間社会がもっぱら男性支配のもとで形成されてきたのと同じく、西洋哲学をはじめとする人文社会科学もまた男たちが作りあげてきたものです。そこでは長らく女性の声が反映されることはありませんでした。
女性が政治や思想の世界に参入してきたとき、浮上してきたのは「ケアの倫理」です。
「ケアは、家父長制的な社会において、女性らしい倫理として捉えられてしまうが、民主的な社会においては人間的な倫理となるのだ」とキャロル・ギリガンは述べました。彼女は合衆国における民主主義やリベラリズムの形骸化が厳しく問いただされた時代に女性と道徳に関する研究を始め、その後、発達心理学の大家と呼ばれるまでになった研究者です。
本書ではギリガンの『もうひとつの声で』を随所に引きながら、それ以降に展開されたフェミズムの政治思想を吟味していきます。そのなかで、ジョン・ロールズの『正義論』に対しても、厳しい批判が向けられているのには納得させられました。ロールズのいう「原初状態」の当事者は家長である点が批判されるのですが、なるほどと思います。
男たちが議論してきた正義論には「依存」をめぐる問題が不在であると指摘したのは哲学者のエヴァ・フェダー・キテイです。キテイは、平等という理念が女性たちの手から逃げていく原因を、人間にとっての普遍的な条件であるはずの依存が軽視されてきたことに見いだしました。「ひとは誰しも、その生涯のうちでどこかで必ず、他者の労働やその決定に依存するがゆえに、その他者の行動に左右され、傷つけられやすい」という認識は重要です。
以上のような議論を経たうえで末尾では「誰かが、わたしたちをケアしてくれた」という普遍的事実から民主主義の再生を構想します。たとえば政治学者のジョアン・トロントは「ケア責任について、いかに社会的にみなで担っていくかを論じ決定していくこと」を政治の第一の課題とすることを提起しています。政治をそのように捉え始めるならば「育児や介護で疲弊していたり、あるいは低賃金に喘いでいたりする人びとの生活のどれ一つとして、政治は無視することは許されないはずである」。
ケアの倫理によって既存の哲学の再考を迫り、民主主義を鍛え直そうとする本書からは大いに蒙を啓かれました。
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