書評/『関心領域』マーティン・エイミス著・北田絵里子訳 加害者が主役で書かれたアウシュビッツ強制収容所。新たなアングルから見る極限状況での人間の真実
『関心領域』はイギリスの現代文学を代表する作家であるマーティン・エイミス(1949-2023)の著作である。同じ題目で映画化された作品も2024年アカデミー賞にノミネートされ注目を集めている。
「関心領域(重要区域)」は、アウシュビッツ絶滅収容所の一つと収容所で働いていたナチスの人々の住居を含む40平方キロメートルに及ぶ区域のことである。
これまでホロコーストに関しては『アンネの日記』や『シンドラーのリスト』を初めとして、被害者目線での歴史的証言を刻んだ文学作品が数多く発表されてきた。2014年に出版された本作は、加害者に当時の行動と心情を赤裸々に語らせることで、ドイツが国家的犯罪に走っていった様子を描いた意欲作である。
民族浄化に従事した当事者側に光を当てることによる歴史的検証の価値に加え、本書は文学でしかできないことを成し遂げている。それは非倫理的極限状況の只中に放り込まれても、人間的感性や理性を心の片隅に残しておくことができるのか、また人を愛することができるのか、といった人間の本質への問いかけをしているからである。
本作には三人の語り手が登場する。一人目は、ナチ党全国指導者マルティン・ボルマン(実在の人物)の甥で、収容所内工場に勤務する将校、トムゼンである。二人目は強制収容所長のドル、三人目はユダヤ人でありながらガス室で殺される同胞の死体処理に従事するシュムルである。
程度の差はあるものの、三人に共通するのは、ユダヤ人の効率的抹殺が日常的な出来事になってしまい、倫理感が完全に麻痺しているということだ。トムゼンは、ユダヤ民族の抹殺という至上命令に従いながら、いかに労働力(健康な囚人)を確保し生産性を上げるかという課題に頭を悩まし、ドル所長はいかに囚人の無駄な抵抗を抑えるかに心を砕く自分は「良心的な管理者」だと信じ、シュムルは同胞を騙してガス室に誘導し、死体の傍らで食事をすることも平気になっている。三人とも同じ穴の狢のように見えるが、精神に支障をきたしアル中になっていくドル所長に比べ、トムゼンは軍事戦争の勝利というドイツのもう一つの目標との矛盾に気づくことで理性を保つことができている。また、シュムルは一日一人だけ同胞を救うことで、かすかな正当性を維持する。
もう一つの大きなテーマが、狂気の只中での恋愛である。当初トムゼンは、ドル所長の妻ハンナの肉体に惹かれるが、いつしか彼女を本気で愛するようになる。政治犯として捕らえられた昔の恋人の消息を調べて欲しいというハンナの願いに応えるために、命がけで調査活動を始めるのだ。
敗戦色が濃くなるにつれ、ドル所長はますます正気を失い、トムゼンとシュムルはそれぞれに意外な決断を下し抵抗を試みる。犠牲者の被害の大きさとは比べものにはならないものの、ホロコーストは加害者をも破壊し傷つけたという側面が露わになる。
最終章の『謝辞及び著者あとがき』でエイムスは警告する。ホロコーストの加害者が「どのように」虐殺を行ったかということは突き詰める必要があるが、「なぜ」そうしたのかということへの答えを求めるべきではない。加害者の理由を理解することは、彼らに共感することに繋がる危険性があるからだと。
また民族主義だったヒトラーが、最終的にはユダヤ人だけでなくドイツ民族をも破滅させようと考えていたのではないかという作者の仮説も興味深く、本編と共にナチスとホロコーストに関する新たな側面を提示するものである。