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毎日応援 164 心が折れそうなニュースは
事件や嬉しいニュース、いろんなことが人生の目の前に現れる。その時、その中にあって、何を選ぶか。いろんな嬉しいことから辛いこと、何をどう選ぶか。
自分で決めることができる。
なぜなら、自分以外のところで起こることは、それが例えどんなに詳しくニュースになったとしても、ほんとのところはわからない。
本人にしかわからない、ということと、
ほんとのことは、実際は他に言えなかったり、
当事者達は知っているけど、他へは伝えられない、というのが、実際だから(⌒-⌒; )
だから、小説やドラマや映画や漫画の中で、
こっそりと真相が書かれる。
あの奇想天外な結末に、あんなことがあったのか、って話、実際だったとしたら、社会には公表できない、とか、よくあるもんね。
芸能界の人なんかは、よく、嘘ばかり書かれた、と言っているのを聞くけど、
あの人にこんなことされたんです、あの人はこんなことしてるんです、とは、なかなか実際いえないことばかりで、大変だろうと想像する。。。
毎日、いろいろあるよね。
でも、最終は、やっぱり自分で決めて、
自分で納得するしかないんじゃないか。
また、それしかできないんじゃないか、と思う。
理由もわからない。
真相すら、知ることができない。
でも、何かが起こってしまった時、
なんで、と思う。
でも、それでもなお、それも自分が後から、
これのおかげでよかった、と思えるところにいつかいけるし、いくから、
そこにとどまるのはやめよう、
癒えていくことを自分に許そう、
気づいていけることを自分に許そう。
そう、何かしら自分にしかわからなくても、
納得する落としどころが見つけられれば、
もう、同じ場所にはいないから、
心は縛られない。
自分で、選べる。
それでも、幸せや喜びを感じる世界を自分に許すのか、
それだから、恨むことや、罰を与えることを選ぶのか、
それでも、自分を信じるか、
誰かのせいにするのか。
選べる。
自分の人生、魂の、舵取りは自分でできる。
できないように見えたとしても、
心を縛ることはできない。
できるのは自分だけだ。
縛るのも解き放つのも、信じるのも。
ニュースや情報なんかで
目に見えることは、
本当かどうか。
歴史がずっと過ぎてからじゃないと、
誰にもわからないこと、
最後まで、ほとんどわからないこと、
最後まで、多くの人には知らされないことばかりだ。
坂本龍馬を暗殺した人もほんとのところは、暗殺した一部の当事者、関係者以外、わからないし、出て来ようがない。
ファティマの予言だって公表されず、
一応公開されたものは真実の全てでは無いとされて、懐疑的なままだ。
暗殺者だって、ほんとにその人がほんとの犯人なのか、ほんとのところ、わからない。
結局は「悪」の役割でさえ、
その役割を果たすことで、世界を救っているキー(鍵)になっていたりする。
世界一を走り続ける児童文学小説の「指輪物語」では、最後の最後でヒーローが闇堕ちする。
世界はまさに今終わらんとする、その時に、
コソコソと薄汚く意地汚い小さな汚れた存在に、
その欲望によって、
実はヒーローも世界も救われる。
また、幻視者で画家として知られている
「ウィリアム・ブレイク」の描いた、
とある悪魔の絵について、面白いことが書かれていた。
(ウィリアム・ブレイク展 国立西洋美術館より)
悪魔は、太陽の女神を手に入れ、光と闇の戦いに勝ったように振舞っているが、
結局のところ、その最大の悪事すら、
その先の光の勝利に一役かった役どころをやらされているにすぎないことを、その悪魔本人が一番わかっている。
だから、太陽の女神を手に入れたその勝利の瞬間さえ、
悔しそうな、
苦痛に身悶えする表情をしている。
と、いうようなこと。
要するに、最大最強、最悪の悪魔でさえ、
その悪の頂点を極めることが、
光の勝利の手助けでしかなく、
悪魔本人もそれを知っていて悔しがる、というのが真実だということを、絵に描いている。
今すぐ、私たちが事実を知ることはないかもしれない。
でも、その先に辿り着くまでの一歩一歩は
まさに、今この瞬間、瞬間だ。
この瞬間が、道そのもので、
この一歩一歩に、その人の真実がある。
失敗しても、
うまくいかなくても、
辛くても、
ひどいことになっていても、
その瞬間を放棄しなければ、
そこが美しい道そのもの。
悪魔に苦々しい顔をさせる、美しい道そのもの。
考えて、あきらめて、終われるほど
この世界は小さくも、狭くもない。
自分で、無限の世界の選択ができる。
希望を持って進もう^ ^
それが、誰にも認められなくても、
評価されなくても。
良いとか悪いとか、
その時だけで、判断しても、
それはわかりようもない世界だから、
無力感に包まれる時もある。
じゃあ、
何をやってもいい、
好きなことを好きなようにやればいい、
何なら、人を殺してもそれは全然かまわないのか。
そんなことではない。
本来の心地よさ、
人に喜ばれて、自分の喜びを知った時のような、
住まいをきれいに掃除した後、
心からさっぱりと気持ち良かった時のような、
本来、人の中にある「美しさを喜ぶ」感覚を
今一度、思い出してみようと思った今日この頃。
グラグラと自分を見失いそうになりながら、
いろんな存在に助けられ、
教えられ、
また、希望を持って立っている。
感謝。
今日も健やかで安心の時間が沢山流れていますように。
いつもありがとうございます。
戸張碧月
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