
不遷不弐...過(あやまち)を弐(ふた)たびせず
「哀公(あいこう)問う、弟子(ていし)孰(たれ)か學(がく)を好むと爲(な)す。
孔子對(こた)えて 曰(のたま)わく、顔回(がんかい)なる者有り、學を好めり。
怒(いかり)を遷(うつ)さず、過(あやまち)を貳(ふた)たびせず。
不幸短命にして死せり。今や則(すなわ)ち亡し。
未だ學を好む者を聞かざるなり。」
(雍也第六・仮名論語六六頁)
お殿様の哀公から
「そちの弟子の中で誰が一番学問を好きかな」
と尋ねられた。孔子は
「顔回と申すものがおりました。
顔回は怒りを面(おもて)に顕わさず、
同じ過ちを繰り返しませんでした。
しかし不幸にも短命で亡くなってしまい、
もうこの世には居りません。
顔回の亡きあとは、
残念ながら本当に学問を好むという者は
いないようでございます」と答えられた。
怒りを面(おもて)に顕わさず、
同じ過ちを繰り返さず、
という「不遷不弐(ふせんふじ)」は、
残念ながら我々のような凡人には該当しない。
孔子がこの言葉を適用したのは、
弟子の顔回にだけである。
特に過ちについては、孔子自身でさえも、
「丘(きゅう)や幸(さいわい)なり。
苟(いやし)くも過(あやまち)有れば人必ず
之(これ)を知る
(私は幸せである。
もしも私に過ちがあれば、
人が必ず気づいて指摘してくれる)」
(述而第七・九四頁)と言うくらいである。
人間は往々にして間違うし、過ちを繰り返してしまう。
だからこそ「過(あやま)てば則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」(学而第一・五頁、子罕第九・一二三頁)が大切であり、
「過(あやま)ちて改(あらた)めざる、是(これ)を過(あやまち)と謂(い)う」(衛霊公第十五・二三九頁)と孔子は言うのである。
然しながら、二度と、絶対に繰り返してはいけない過ちがある。
平成二十八年五月二十七日、
オバマ前大統領が、当時、現職の米国大統領として初めて被爆地、広島を訪問した。
広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れ、
原爆死没者慰霊碑に献花した。
「七十一年前のよく晴れた雲のない朝、
空から死が降ってきて世界は変わった。
閃光(せんこう)と火の壁が町を破壊し、
人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを示した」
との言葉から入り、
オバマ大統領は、核兵器なき世界への決意を表明した。
さらには
「遺伝情報のせいで、
同じ過ちを繰り返してしまうと考えるべきでない。
我々は過去から学び、選択できる。
過去の過ちとは異なる物語を
子どもたちに語ることができる」とも語った。
旧ソ連のゴルバチョフ元大統領もまた、
退任後の一九九二年に訪れた際に
「歳月がヒロシマの悲劇の痛みを
和らげることはできなかった。
このことは決して繰り返してはならない」
という言葉を残した。
しかし現在、世界になお一万五七〇〇発もの核兵器が存在する。
米国(七二〇〇発)、ロシア(七五〇〇発)、
英国(二一五発)、フランス(三〇〇発)、
中国(二五〇発)の五ヶ国とインド、
パキスタン、イスラエルそして北朝鮮にである。
核兵器保有国の大統領や首相は、
今後選出される首脳も、
オバマ大統領やゴルバチョフ元大統領のように
「繰り返してはならない」と
表明できる人物で在ってもらいたい。
人類を滅亡させる核兵器の発射ボタンを
押せる立場にあるが故に、
顔回の如く「過(あやまち)を弐(ふた)たびせず」の人物でなければならない。