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ケアされるもの、ケアするもの


〜ケアの社会化〜



 
昨年末に、94歳の叔父が在宅で亡くなった。全盲であった。
深川に住み東京空襲を生き抜いてきた人で生きることに前向きであった。
若い頃、音楽やダンスを本格的にやって趣味も豊富であった。
気持ちが優しいのでだれとでもすぐ仲良くなった。
入院先でいわゆる延命治療をしていたが、もう家に帰ると強引に帰ってきた。医師からは家に戻ればまもなく死ぬと言われたが、お構いなしである。
 
「あー、家はいい。やっぱり死ぬのは家だな。」と言う。
 
私の娘がケアの仕事をしているので、訪問医師、看護師、ケアの方々と相談して厳密なプランを立てる。食事と排泄と清潔の意思があれば、生きる意志があることだが、すでに食事はできない。それでも寝ながら身体を動かす体操を毎日やっていた。
 
上野千鶴子「在宅ひとり死のススメ」を読む。
 
在宅で血縁の家族なしで、ひとりで死ぬことができるのは、2004年にスタートした介護保険制度があるからである。課題も沢山あるが、ケアは家族の責任であるという社会通念を変えてきた。
 
岡野八代「ケアの倫理」は、人の歴史から紐解く。
人間の歴史は、男性の歴史である。人間の活動に、女性が無償で提供してきたあらゆるケアの労働を考えることを排除してきた。その存在を当たり前のものとして、素晴らしいものとして考えることで、神からの贈り物として受け止めることで、実は無視してきたのが人の歴史である、という指摘である。
 
ケアとは、気遣い、配慮、世話をすることで、社会に必ず存在する。人間の社会には不可欠なものである。ケアする、されるの関係は非対称である。この人間の全ての必要な仕事が、女性たちの労働として安価であるいは無償でやられてきた。人は他者との関係の中で、身体的、精神的なケアを受けつつ生きているにも関わらず。健康な時、ひとは自分がケアの対象であることに気が付かない。例外なく全ての人はケアを必要としている。
 
ケアをケアワークつまり労働とみなしてよいのか? という問いから始める。無償のサービス、愛のサービスは価値があるのか? 公私二元論がある。
 
アメリカのフェミニズム論で女性隷属論を示したキャロル・ギリガンも同じ指摘である。(「もうひとつの声で」)さらに、本田由紀は、日本のもじれ社会では、仕事、家族、教育が強固に結びつき人や資源を回している。それぞれの独立した意味を忘れていないか。家族が家族たる理由は共助にあることを忘れてはならない。(「もじれる社会的」)
 
介護の社会化を進めた介護保険制度は、その仕組みもよく考えられていた。利用者とヘルパー契約を個別化しないで、事業者契約にしたことやケアマネの導入をしたこと、ケアワーカーの有資格化、要介護認定制度などである。20年を経て問題も山積してきているが介護保険を守る運動も活発化している。
 
90歳に達する女性は二人に一人、男性は四人に一人となった。すごい高齢化である。ケアの社会学は、家に他人が入る時代になったということである。血縁でない他人がケアを通じて友達になっていく社会である。
 
ケアされるものにとって家族とは心の通じ合った人生の仲間であるが、ケアの素人であることは間違いない。家族がケアという大変な仕事を本格的に負うのは双方にとって精神的バランスが崩れる可能性がある。
 
渡辺京ニは石牟礼道子が死ぬ時に席を外した。別れはとっくに済んでいた。
家族とはこういうものであろう。
 
孤独死が増えているという。しかし、これも生前に孤独に暮らしていた人がほとんどである。女性には少ない。男性は会社人であっても、社会人でないことがある。しかし、高齢者が社会的な付き合いを離れて孤独に暮らすことの問題は依然としてある。
 
ケアされるものは色々無理なことも考え、そして口にする。
ケアするものはどう受け止めて対応するのだろう。他人との付き合いは計画通りには決していかない。どこかで通じ合うパイプを発見する。そのための会話はとても重要である。時間もかかる。利用者の病状によって対応は異なるので、本人がそのことを言い出すまではじっと我慢する。医師は専門のことだけを考えれば良いがケアは全ての病気に対応しなければならない。男女老若、精神疾患、身体疾患を含めて様々な利用者がいる。特に精神疾患や認知症になると特別の配慮が必要になる。
 
高橋幸男は、認知症は病気ではない。認知症は不便だが不幸ではないという。(「認知症はこわくない 正しい知識と理解から生まれるケア」)
 
若い人が資格をもちケアの仕事をするのが目に付く。これは間違いだろうか。そういう人たちと話をすると、人間の生き方や社会のあり方に関心があり、深く学んでいる。ケアする専門家は専門以外にも人間学、社会学、文化論、哲学などに通じているのではないだろうか。この若いエネルギーがなんとも優しく伝わってくるのである。
その一人の作業療法士の岸田脩平さんはこう言う。
「何かができないのではなく、何かできることを考えるのが人間ではないでしょうか」
 
叔父は、家で死ねてよかったと思っているはずである。
遺してくれた言葉がある。
「人生、自分のことではなく、他人のことを考えて生きなさい」
叔父はケアしてくれる人たちに、いつも「ありがとう。ありがとう」と言っていた。

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