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生きること、学ぶこと


ICEアプローチが今なぜ求められるのか?


〜カナダで生まれて日本で育ったアクティブラーニング〜



 
4章 ICEの各ステージでの学習内容
 
4−1 Ideasについて


Ideasの難しさは何か?
 
 Ideas(アイデア)は学習の様々な要素を表している。事実、スキル、プロセスの中のステップ、そのようなものを表します。学生が質問を受けたときに教科書を見たり、自分のノートを見たり、覚えていることを思い返すことによって答えができた場合には、アイデアを中心とした学習ができている。
数学においては系やアルゴリズムに関する定義を暗唱することができる場合、生徒にとってのアイデアベースの学習です。エンジニアリングにおいて、例えばその意味が分からなくても数値を式に入れることができる場合、それがアイデアベースの学びです。歴史の授業において、歴史上の人物の名前、日付、場所を言うことができるということがアイデアベースの学習。体育の授業においてもさえも、例えばバスケットボールにおける個別のスキルがあります。走る事、ドリブル、バスケットボールのルールを知っていること。体育におけるアイデアベースの学習(Sue)

 言葉で表現できないものを含めて自分なりに意味として理解する対象や行為の全てをアイデアと考えると、その意味する内容は人によって異なるのは当然であり、そこにアイデアの難しさが存在する。同時に、学びのモチベーションが生まれる。

 
活用されたことのない知識をどう引き出すか?
 
 知識の習得はどのようにしてできるのか。学んだ(I)をそのまま(C)にしても、つまり何らかの変換がなければ繋がりには至らない。教わった(I)がそのまま活用されることはない。それではどうするのか。(I)の学びの時にアウトプットを考える必要があること。社会のリアリティを想起してもよい。(I)がコネクションするときに既に自分の概念や言葉になることが第一であるが、アウトプットにつながらない、眠っている(I)を引き出すのは(I)を構成する手順を丁寧に考えることで引き出すことができる。(柞磨)

 アンリ・ベルグソンの研究に記憶力の形成がある。
記憶力は、記憶しておく保管庫の良し悪しの問題ではない。精神と物質の時間的なスケールでの位置付けが検討される。両者は、共にシンクロして生成されるものである。最前線に物質があり、全体を支えるものとして精神がある。現在とは、その最前線の物質の活動であり、精神はその全体を支えるものとして過去に存在する。そうしてみると、現在とは、限りなく薄いものである。常に変化しているので、実在しないに等しい。現在は物質生成の活動の最前線であり、精神がイマージュを形作るには、実在する過去を記憶によって整理し直す必要がある。

過去はそれ自体が継続しているものである。「純粋記憶」と命名する。
過去は、すでに過ぎ去ったものではなく、どんどん前進的に生成されていくものである。「記憶力」とは保存する機能であるが、それは保管場所があるということではない。知覚したものを行使する力、組織化や体系化する力、それらの集合としてイマージュかする力の機能を示す。

脳は、記憶やイマージョを蓄えてはいないのである。ガストン・バシュラールの想像力とは歪められた記憶を解放して再構築するものという定義は、まさに過去の実在である「純粋記憶」を行使して再組織化するものであろう。

記憶が眠っているアイデアや経験を鍛錬によって引き出すことであると考えると(I)から(C)への学びとなる。
 
 
Ideasは人が作り出したものとは?
 
 (I)はそもそも人が作り出したものである。それらができるまでの試行錯誤のプロセスが存在する。つまり(I)はプロファイルである。疑問や必要性や願いへの答えです。当初想像していない状況やレベルで使われるから、壁に当たり、改造されていく。これを乗り越えると(I)は何かを産む。なぜこれが必要とされたか?(教師も生徒もこの問いを持つことが大切)学ぶ側に必然の感覚を生む。ここも主体的学びである。どのような見方や考え方で作られたか?(I)には(C)の要素が既にある。(I)は出来上がったものとしてみるのではなく、その成立や発展のプロセスとしてみると、(C)や(E)が見えてくる。(柞磨)
 

(柞磨)

(1) What は,事物・事象の名称や定義など,いわゆる知識を対象とします。ここで,知識の捉え方について,二つのことを押さえておきたいと思います。
①知識は問いに対する解答として生まれたもので,歴史を持っている。
②知識は単に受け入れるものではなく,学び手が意味を構成していくものである,ということです。この捉え方は 学びを深める問い作りを行うとき、より重要となります。
 
(2) Why は,原因と結果や根拠と論などのように知識の関連を対象とします。つながりをつくるものとして論理的な思考が要となります。根拠と論のつながりを吟味することは批判的思考に相当します。
 
(3) How は,解決策を考えたり,価値を産み出したりするなど,創造的な思考の働きを支えます。この3つの疑問詞はセットにすることで一つの流れをつくることができ,とても応用範囲の広いフレームとなります。

さらに,if や if not を併用することによって,問いを拡張し,より深い思考を促すことが可能になります。図の例では名誉を対象としていますが,もし名誉が失われたら(if not で,名誉がなければ)とすることで,いったんその存在を失くすことで逆に名誉の価値や意義について考えることを可能にします。

文脈や状況を設定し,How を有効に使うことで,単に正答を求めるのではなく,物事を判断すること,具体的な行動を考えることまで進めることができます。図の例では,問題解決の場面を想定しており,未来志向の問いとなっています。What や Why だけだと「もの知り」「わけ知り」に終わり,解決行動につながるような主体性が育まれにくい面があります問いは単発で発するのではなく,一つのまとまり(フレーム)として組織し,構造化することでより学びの質を高めることができるようになります。(柞磨)
 
素数や数学的帰納法という(I)の理解が浅いと(C)や(E)での応用問題で悩む。従って(I)での学びの在り方にHow だけでなくWhat、Whyをいれていく必要がある。全てHowの(I)では駄目でWhy、Whatに答える(I)でないと駄目である(柞磨)

If notを考える制約するもの、成り立たないものを考える。その結果、創造的な見えてくる。(I)という影技から脱皮していく必要がある。教師がHowばかりを教えるとWhat、Whyが浮かばず、只暗記することになる。(井庭先生のパターンランゲッジ)
 
進学校でない多くの学校で(I)の学びに苦慮している。豊かな(I)の学びをどうするか。(I)の中に(Ic).(eI)を取り入れる試みはどうだろうか?(柞磨)
 
柞磨の(C)しやすい(I)と、しにくい(I)の考え方へのSueの考え方は、
「その通りである。と同時にそれが既に(I)の中におけるICEであるとも考えられる。素数を理解するプロセスで実はいくつもの(I)がコネクトしている(I)と、まだコネクトの少ない(I)がある、柞磨は、そのことを言っている。」(Sue)

(I)は周辺情報を持つことができる。周辺情報を持った知識は、その成り立ちや必要性の「必然性」を伴うので、記憶に残りやすいのです。(C)ができやすい。それが定義の形を持った(I)は情報の生い立ちのストーリー性がないので豊かな学びになりにくい。
柞磨は、(I)の存在意義を考える。(I)が(I)として機能するのは、どういう仕組みがあるからを考える。((I)によって、(C)の活動が実社会と関わった生きたものとなって確かな(I)へと止揚していく。自分と新たな知識との関係を再構築しているといえる。内化した(I)を外化することが知識に意義を与えることである。自分が学んでいる意味をわかってくるということです。螺旋状にICEが展開していくと次の(I)のフェイズに来た時、2度目の(I)を学ぶ、つまり知識にその存在意義を与える。
(柞磨 「ICEモデルが拓く主体的な学び」)
 
 
4−2 Connectionsについて
 
デューイの言うConnectionsとは?
 
「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける力を増大させるように、経験を再構成ないし再構築することである。一オンスの経験は一トンの理論にまさる。」(デューイ)

学ぶことの意味は、知識の吸収よりも、知識の構築、表現、創造を大切にした。学習とは、自分の経験を再構築するという考えである。「経験の質」を変化させることであり、経験の価値高めるのが学びである。ICEはまさにConnectionsで自らの経験を引き出すことで、新たな発見を行っている。教育には到達点はなく、どこまでも成長していくプロセスである。
 
デューイの主張する、Learning by Doingのアクティブラーミングは、アクティブもパッシブも両方が入っている。能動的行為によって引き起こされる結果を引き受ける。吸収したことから再び新たなことをやるという、アクティブーパッシブが連続的に行われる。ICE螺旋図のように。

(柞磨)


このプロセスの中で省察が行われている。探求による反省的思考を通じて、意味を持つ経験に至る。思考することそのものを一つ経験する。経験することや経験の方法と、経験するものを分けてはいけない。一つの経験があるだけである。Connectionsでは新しい知識を経験に結びつけて思考するのではあるが、むしろ、学ぶものと方法を一体として考える。子どもたちが、問題に直面す中で、葛藤、矛盾、間違い、混乱、緊張を尊重しなければ、思考など生まれない。現在の教材は、そこにいたしこうプロセスや子どもの生きた経験結びついた科学的探求をじゅうぶん配慮していない。(上野正道「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」  


Connectionsでは見方や考え方が鍛えられる? 

(C)は見方や考え方に相当するフェイズであり、思考力や判断力を培うには極めて重要である。しかし、つながりということは義務教育ではさかんにやってきたことでもある。大学では重視されるのではあるが。したがって、私はこどもを育てていく際に次の考えは誤った方向ではないと考えている。すなわち、(E)を応用から1段進んで、「価値を生み出す」「他者性」を持ち込んだ。このことによりICEは今までにはできなかった考えがスムーズに行えるようになった。 

(C)は学習指導要領でいえば「見方・考え方」に相当するフェーズで文部科学省もこれを重視しています。私も思考力・判断力を培うには(C)が極めて重要だと理解しています。しかし,「つながり」は,これまで義務教育でさかんに使われてきた言葉ですし,(E)が「応用」とされた場合,新しさを醸し出せない恐れがあって,私はあえて(E)を強調し,それに「価値を産み出す」というとらえと,「他者性」という概念を持ち込みました。他者性は花岡さんにインスパイアされた概念です。このようにしないとICEの何がこれまでなかったことを可能にするものなのかを端的に感じ取ってもらいにくいと感じたからです。(柞磨) 

(C)のつながりには2つの種類があります。授業の資料のなかにでてくる2つのものの間のつながりと、個人的に意味のあるものとのつながりとの2種類があります。(Sue)

 数学の事例を使いますと、例えば直線の方程式というのは、時間が経つにつれて映画を見る値段が上がっていくのと同じようなものだ、と気づいた時につながりになります。学んだことと日常生活をつなげるということです。歴史の授業においては、自分の家族・祖先がなぜある国から別の国に移民してきたかということを歴史上の事実から学んだりした場合、自分の生活をつなげることができたとき、つながりができたと言う。生徒たちにどのようにつながりを作ってもらうのかと、そのやり方を考えて欲しいのです。2つ以上のことをつなげる、あるいは学んだことが自分とどのように関係しているのか、を考えさせるきっかけを作ってみてください。(Sue) 


 Connectionsには3つの活動があるとは?
 

(C)は思考活動そのものである。Connectionsには3通りあると考えています。
①つながり・関係性を認知すること,
②つながり・関係性を発見すること,
③新しいつながり・関係性を作り出すこと。

①と②はすでに存在しているつながり・関係性について,③は場合によっては教師でさえ気づかないものです。それは創造性の基礎といってもよいもので,これからの教育は③のタイプのConnectionsを大切にしていくことに価値を置くべきだと考えています。(柞磨) 

この未知に対する(C)が探究で、創造につながる。この創造につながる(C)を導き出すことが大切である。与えられた(I)の理解を一通り終えると、改めて、学びの対象を意義づける。学んだことを相対化する。(C)はどのようにして学ぶかのプロセスを大切にする。本当に自分で確かめるプロセス。(ここも主体的学びがある)(柞磨) 

ICEのよさは感じることはできるけれど,Ideasの学習さえ覚束ない生徒にはどう対応したらよいか?というものです。何もかにもICEでとはいかないのでしょう。しかし,一方でIdeasの学習に苦労されている先生方の切実な悩みはとてもよくわかります。それで私は,Ideasの豊かな学びについて考えています。 

「実際に知識が集められ、真実が浮き彫りにされるに至った方法についての洞察」というところに大きなヒントがあると思います。Ideasが形作られ,独立するまでに人々の願いや生み出した叡智があり,ソシュールの指摘したところですが,そこに豊かさがあるのだと思います。光を当てると,その成り立ちの底には「見方・考え方」があり,それはまさにConnectionsなのです。Ideasの中にConnectionsが息づいていて,それを汲み取れるかどうか,その意味でICEでは教師の力量が問われるのです。そのことを置いて,単にルーブリックでIdeasは~のようになるといっても,学ぶ者にとっての実りはきっと少ないでしょう。(柞磨)  

私はさまざまな状況にある生徒を見てきて,けっきょく困難の中にあってもその子が人間としての尊厳を失わず生き抜くためには,その子なりに創造性を発揮して,創造的に生きることだと思っています。だからいろんな事柄の関係性を理解することはもちろん大事ですが,自ら関係性をつくることが主体的に生きることにつながるのだと考えます。生きることは新しい関係性を生み出すことで,どんな形であれ,それが他の人々に貢献することになるなら,どんなに素晴らしいことでしょう。関係性の中で生き,感謝され,必要とされることは間違いなく幸せに生きることだと思います。(柞磨) 

課題発見や解決学習の観点から見ると、(C)で発見が起きるのでイノベーションもここに起源がある。(E)といえば、学生の学びを牽引するフェイズであり、ここに学びの存在価値がある。それは(E)には貢献や利他の存在があるからです。つまり、イノベーションの起源に到達しないと次のステップはないのですが学びを牽引するものがないと(C)にも至らないということでもある。(柞磨)

 最近の高校生は(C)フェイズで止まってしまうことが多い。これは観察力をどう捉えているかの問題でもある。PISA調査(Program for International Student Assessment:学校の教科で扱われる知識の習得を超えた部分まで評価しようとする)の3つ目の「熟考評価」ができること。他者の観点でモノを見ているか。対象に働きかけているか。枠をもたないとステレオタイプになってしまう。見る観点を持たないといくら見ても見えてこない。(柞磨)


 Connectionsの問いは垂直の問いである?

何故あなたはそうしたのか? これでは深い問いにならない。Whatを使う。何があなたをそうしたのか?キーツのもやもや感を抱いたときに「転」を導入しないと深い学びにならない。垂直思考だけでは駄目である。(考察すべき例:熊本第二高校、(I)のフェイズ:定積分の計算ができた、(E)のフェイズ:定積分が符号付き面積であることを理解できたか。) 

Connectionsでは、自分の気づいていない潜在的な能力を引き出す学びが行われる。氷山の水面下にあるたくさんの可能力をいかに引き出して、繋げていけるかが問われる。単になぜと問うのではなく、もしもという問いなど思考を変化させることがコツである。米国では、日常の中で仮定法をよく使う。レトリカルシンキンの常套である。(C)で繋ぎをよく認知できるためには、日頃から色々場面を想定している必要がある。  


「転」を含まないConnectionsの問題点は何か?

「転」がないのは適用の学びになっていて、深い学びには至らない。
(柞磨) 

Posnerの誤解を如何に変容するか。誤解に不満をもつことが重要であり、そこからコンセプトを正す力が学習にとって(とりわけ理科教育)大切である。この気づきには「転」の学びが必須となり。新しいコンセプトを得るという学びの要件を満たしていくのである。Posnerの概念変容は、教育研究と認知発達研究を対象としている。スタートは大学で初等物理の教育が成功していないということから始まる。【1981年と比較的新しい研究】教えた内容が正しく理解されない。原因は既知として保有する知識である。教える前の知識は新しいことを理解することを妨害する。既存のコンセプトの適用限界に不満を感じることが大切である。このプロセスがないと学びになっていかない。そこでif notの問いが重要になる。(杉田 前橋高校物理教諭)

 (C)は関係づくりの活動が中心となる。「思考とは、われわれがなることと、生ずる結果との間の、特定の関連を発見して、両者が連続的となるようにする意図的な努力である。」(デューイ) 

従って、(C )では論理的思考と批判的思考が重要になる。ある問題について考える時、原因と結果、結果と原因の関係性を的確に把握する必要がある。その過程で複雑な思考の網目が形成されていく。推論と解釈の結果である。さらに続けていくうちに、自分の主張が表れる。(C)の学びでは教師は学習者の理解や発言の根拠や理由を明らかにするようにファシリテートする。うまくファシリテートするためには、教師は(C)の学びを促すためには有効な問いがあることを、柞磨は提唱する。 

・シンパシー型の問いとエンパシー型の問い
・前提分離型の問い
・例示型の問い
・拡張・発展型の問い
・共通性や差異性を軸とする問い
・学びを深める問い:精緻化/一般化/背理や外挿/メタ認知や自己モニタリング(柞磨 「ICEモデルで拓く主体的な学び」)


 なぜ、問いを立てることがConnectionsの学びであり、イノベーション思考を促すのか?
 

(C)でもなるほどという学びがあるので、あーわかった、わかった、という時のあの成る程とは明らかに異なる。むしろ自分のものとした理解や考え方を新しい局面や次の課題へとステップアップするプロセスではないだろうか。

 (C)での問いは:願いである考える者の意識を引き出す自我関与を高めるチームで協力するようになる学ぶものを主役にする深い思考になる創造の質を上げる (柞磨「ICEモデルで拓く主体的な学び」) 

私たちが生きていくことは、自らに問いを立てていくことです。生徒も、教師も、そして社会人も楽しめる問いづくりの物語を柞磨(以下、著者)は書く。(「生徒も教師も楽しめる問いづくりの実践」(日本橋出版)(以下、本書)すべての生徒に本当の学びに出会って欲しいという著者の願いがあります。

 これまでも学びにおける問いの活用についての研究はありますが、本書は問いの構造化と学びのフレームワークの構築を立体的な道具立てとした新鮮で厚みのある問いづくりの論考です。著者が全体をパブリックに示されるのははじめてではないでしょうか。構造化された問いを学びのフェーズで価値づける論理構築には曼荼羅の世界のように複雑な思考と深い経験が必要です。一つひとつを読み解くのは、思考力と想像力の質と幅を問われますがそれは読者の喜びでもあります。

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「私は学びというものは生徒や学生の勇気や生きる意欲の源となることが、最も大切なことだと思っています。学びの真髄には人と人が他者のためにつながることができる大切なものがあります。」優しさが滲みでてくることばです。
前書の『I C Eモデルで拓く主体的な学び』(東信堂)では次のように述べます。「生徒が学ぶ意味や意義は、単に知識・技能を習得することではなく、学びの主体としてアイデンティティを形成し、生涯に渡ってそれを成長させていくことにあるであろう。人は学びの主体となるとき、自尊感情を高め、自分の存在意義をより確かなものとすることができるのではなかろうか。」本書においても骨格を支える通奏低音になっています。

問いのシークエンスで構成された授業デザインの挑戦は教師にとってはタフですが楽しい活動です。問いづくりが日常となるまで鍛錬することが求められます。「教師はことばの定義を曖昧にしたまま使うことが多いことを反省すべきである。鍛えられていないことばや想像力の見えないことばは生徒の心を動かすことはない。」自らを戒める著者のことばは、そのまま学びの重要な要素を想起させます。これを読み解くことでプロフェッショナルな仕事の全体像が見えてきます。

大切にするものはまず他者性です。「学びは他者性を認識することからスタートします。」「(学ぶことの)究極は、それぞれの人が創造的に生きることであり、それが主体的ということでもあり、他者や社会とつながることでもある。私が「他者性」という言葉で代表して表現している、「異質なもの、拮抗する概念、不条理」などがある。それは一見生きることを困難にする要素に思えるが、自分の可能性を拓くものとして働く重要なものであり、それが学びを豊かにする。他者とかかわり合うという関係性における価値判断を求める。(学びは)、共感や葛藤の中で行われ、矛盾を乗り越えた意思決定となることが多い。そのプロセスを経て「状況とかかわる力」が育ち、アイデンティティが成長し、人として成熟する。異質なもの、矛盾や相反する価値観で構成された中で、葛藤に導かれ成長し、真の強さを獲得するものである。」

ガストン・バシュラールは想像力について「想像力とはイメージを形成する能力だとしているが、想像力とはむしろ知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、それはわけても基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える能力なのだ。イメージの変化、イメージの思いがけない結合がなければ、想像力はなく、想像するという行動はない。」と言います。想像力を高めるのは注意深く観察することです。「学問を正しく教えるには、すべて中心から出発して外辺へと向かう。想像的文章と論証的文章のちがいが本当にわからないまま大人になっている人が沢山いる。通いなれた思考の軌道しか通らない手垢のついたことばに埋没しないように教師は注意ぶかくなければならない。」

学びを掘り下げ、深めるためには論点が必要です。そもそも問いができるのは問題意識や違和感(観察によって生まれる)があるからですが、学びに応じてその論点(観点、視点)をずらしていくことも必要になります。「生徒に洞察を促すために教師は「転」の問いを発します。(「にもかかわらず〜なのはどうしてか」)思いがけない結合を授業では「転」「破」に相当するものとして捉える。これがないと、情熱が内部から湧き出るといったことを期待できない。知識化されたもの、予定調和で進んでいくものには、その人しか持ち得ない生命の息吹を生むことはできない。」

究極の問いは「「あなたならどうするか」を示せること、「So what?(だから何なの?)」 と問われたときに自分の考え方を明確にできるようになることです。」

著者には「問いが高める学びの質―生徒の主体性を引き出すためにー」(日本教育新聞:20回の連載)の論考があり、本書の問いづくりの概要―問いのタイプと内容のもとになっています。

「本質とは、物事の核心部分で存在意義の源となるもの、考えや概念を根底から支えているもの。本書はそれを基点として本質的な問いについて考えます。しかし、本質的な問いは総じて大きな問いになりやすく、答えることが容易ではありません。そこで、本質的に迫る働きを持った問いを考え、それを本質的な問いとして扱うことにします。たとえば、存在意義に焦点を当てた「そもそも〇〇にはどんな意味があるのだろうか?」のような問いは、本質を捉えようとする働きをもった問いだといえます。」社会人の読者にとっても響くことばです。

著者は、I C E(Ideas, Connections, Extensions)に注目します。I C Eは学びの成長を促すフレームワークです。自らの学びのあり方を発見し、学びの本質に迫ることができます。学びの原点である人としての生き方を考え、実践するために重要なことを示唆します。日本では柞磨が中心となって中・高等学校において実践・研究してきました。生徒と教師が共有のことばとして理解することで、意味や課題の探究が深まるのがI C Eです。

「学ぶものの成長を促すフレームが必要であり、I C Eはその一つである。社会との関わり(他者)の中で、自分を相対化し、自分の置かれた状況に置いて課題を発見し、対応していく挑戦心と実行力を育てる必要がある。教育の基本的な考えは、人の成長を図るものである。その成長とは能力の伸長だけをめざすものではない。学ぶものが、学びを通して他者と作用しあい、価値を作り出し、共有するということが重要なのです。」

だからこそ、I C EのポテンシャルはExtensionsにあると指摘します。「Extensionsでは、習得した知識や技能を使って価値を産み出す活動であり、学びはパブリックなものとなる。ここで顕著になる他者性の概念は、自分と他者との関係の中で自分をとらえなおす。「創造性の発揮」に至る構造がある。他者性と相まってアイデンティティの発達に効果を与える。」このことは学びの本質であり、むしろ日々の社会生活の中でこそ考えなければならない。他者性、想像力など学びで大切なことは実は現実社会で人が生きていく上なくてはならないものであるからということがわかります。

ExtensionsはIdeasやConnectionsの単純延長にあるのではなく、鍛錬の結果、身についた考えを使う新しい場所です。自分が学んできたIdeasやConnectionsとは異なったものが自分から生まれてくる場所です。Ideasの本来持っているプロフィールも学びの深化に応じてその意味づけが変わってきます。

その変容の過程がConnectionsです。学びの内容を深めるあるいは学びそのものの構造的な成り立ちから、本著ではConnectionsの重要性を詳しく記述しています。つまり関係性です。帰納的、演繹的な方法を含めていろいろな手法で観察・推測していきます。Connections(関係づくり)の多様性と意味付けについて多くの事例(テスト問題)をあげています。その一つひとつの内容について実践を通して考えるのは読者の楽しみです。

本書は問いの構造化の探究が中心のテーマの一つです。自然や社会の摂理、混沌とした人間社会、歴史、未来への展望などの対象に向かったときに問いが形成される経験、発見、矛盾、価値、想像、創造など多くの要素から成る基本的な構造を発見できれば、学びにより真正な意味を与えることができます。問いの構造を理解して学びのプロセスに活用することで多様な授業デザインが可能になるのです。

what, why, howの3次元の問いのセット構造は、学習対象との相対化が可能となり、動的な学びが実現できます。未来思考のifや新たな価値を生み出すif notの構造はまさにレトリカルシンキングで大切な仮説の思考です。学びのフェーズでの導入、展開、洞察、本質の問いという基本構造ですが、深化・拡張領域では「本当にそうなのか?」「そもそも何故そうなのか?」という問いです。洞察領域では新しい観点や意味づけを生む「転」としての問いがあってこそ学びは深まります。これが「問いが立つ」ということです、と言います。

本質領域では「So what? (だから何なのか?)」「あなたにとってどのような価値があるのか?」という本質に迫る問いが生まれます。「本質は個々の事物・事象にあるのではなく、それらが織りなす流れの中にあることが多く、そのためテーマに基づいて内容をストーリー化しながら、全体像を把握することが必要です。」導入、展開、洞察、本質という問いの流れの構造をつくることが大切です。
 
問いの構造化とI C Eフレームを活用した授業デザインは、学習の対象によってあるいは生徒の状況によって、問いの立て方や配置を工夫することでフレーム構成を自由に変えることができるため、学びを豊かにします。問いの構造を活用したデザインの最初は教師がSuper-Extensions(最大到達目標)を考えることです。そこから本質的な問い(essential questions)を構想します。フレーム構成と各フレームのテーマを想定した上で、本質的な問いから派生する展開の問いを配置していきます。導入から本質に至る問いの流れの構造が生きてきます。本書には多くの事例がありますので、読者自身がフレーム構成を考えて問いを立てるのも楽しい作業です。「素数ゼミ」の問題など自然の神秘への関心から学びにリアリティが持ち込まれます。
 
 
問いの構成とは?
 
(1)  essential question(本質)  :判断を求める,意義を言語化する,獲得した視点を活用する  ⬅ 判断、意義、活用
(2)  insightful question(洞察)  :批判的に思考する,洞察を促す,二項対立を解消する 逆思考,深まりに重点を置く  ⬅ 逆思考、深まりに重点を置く
(3)  lead question(展開) : 思考を拡げる,関係性や意図を読み取る  ⬅ 順思考,関係性に重点を置く
(4)  entry question(導入) :オーガナイザーとして思考を始動させたり,活性化させる /テーマに関係する投げかけを行う ⬅ イメージを膨らませる / かかわりを強める (柞磨「ICEモデルで拓く主体的な学び」)
 


(柞磨)


(柞磨)


イノベーション思考を促す問いの構造とは? 

タイプ1(情報の取り出し)得られた情報から考えられることを全て書き出す対象との対話を通じた学び方でもある。自分の言葉で言語化する。 

タイプ2(根拠を考える) ◯について、△という考えと□という考えがある。 その根拠は何?どこでそれが判る?その問いが生じた背景を考える。そもそも、この問いがなぜ生まれるのか。 

タイプ3(学修者のイメージを持たせる)なぜ?と聞くとイメージがないものにはわからないので、質問の意味から説明して、ネガティブな状況に置かない。例えば、なぜあなたはそうするのか?と問うのではなく、何があなたをそうさせるのか?と問う。 

タイプ4(オーガナイザーとしての問い)解説をする前に,イメージを膨らませる。正解ではなく「何が言い得るか」ということを重視する。 〇イメージとその根拠(推測の理由)について「つながり」を検討する。例えば、作者はなぜこう言う書き方をしたのか究明する。政府が補助金を止めればどういう影響が出るか?と言う推測をする。 

タイプ5(Connectionsについての問い)誰が何をしたかではなく,ある状況下で,なぜこれが重要なのか(意味を持つか)を考えさせる。それが最も機能するのはどんな時か?重要なことは何か?きっかけとなったことはどんなことか? 

タイプ6(気づきや発見を促す)気づきや発見を促す問い。主体性を高め、思考を高めます。 

タイプ7(洞察を促すための問い)導入では,差異を感じさせる「種」を落とすところから始める。 「物差し」を当て,比較する。 

タイプ8(二項対立を解消する問い)教育は子どもの幸せのためにあるのか,国家を存続・発展させる ためにあるのか ⇒教育はどのような意味において子どもたちのためにあるのか?私たちが持っているステレオタイプに対して、そもそもなぜそうなのか?と、ダブルループで問うことが大切です。

 タイプ9(判断を求める問い)置かれた文脈や状況において,どのようなものが最適か?判断にのみフォーカスした問いです。

 タイプ10(批判的思考に係る問い) しっかり観察や解釈したことがあることを前提に「あなたはどう考えるか?」を問う。他者へのシンパシー(相手が主体)とエンパシー(自分が主体)という対立する感情を持っている時には、問いに工夫が必要です。相手の立場に立っての問いが生まれます。 

タイプ11(獲得した視点を活用する問い)身に付けたものの見方・考え方によって,周辺や社会を見直すと,どのようなことが分かるか。B問題はインテリジェンス型の問いです。例えば、少子高齢化対策の主張を読み。どのような視点で述べているかを考える。グラフや図でそれを解説するなど。

 タイプ12(観察から仮説の設定に至る問い)問いかけは「それは何か」「それはなぜか」ではなく,「読み取り得るものは何か?」とするほうがよい。問いには、拡散と焦点化が大切です。例えば、あなたが気づいたことは何ですか?は拡散です。これで終えると次に続きにくいので、焦点化の問いを使います。気づいたことから何をしたら良いか考える。帰納的な学びです。

 タイプ13(前提分離型の問い)前提を与えて問うものです。例えば、原油の生産量がこのまま減ると、生活にどんな影響が出るか?前提とは、〇〇について、AとBとの考え方がある。この前提から問いを考えます。根拠?関係?共通点?汎用性?メリット、デメリット?どんな時にどちらが有利か?両立させる案はあるか? 

タイプ14(情報不足を扱った問い)これを証明するために不足していることは何か?ストレートに考えても見つからない。まずそもそもの問いの背景、そこに含まれている情報を整理する。 

タイプ15(スケーリング・クエスション)現状、どのくらいできているかというスケーリングを問う。 これらの問いをQ -Matrixに構造化した。
 (柞磨「生徒も教師も楽しめる問いづくりの実践」)


  ICEの本質は(C)にあるという意味? 

ICEは学びを積み上げるブロックのようなもので、(I)は情報を繰り返すことや思い出すことで「考え」レベルの学びができている。また(C)は内容のレベルと個人的な意味を作ることの2種類がある。(C)の学びができると長期的な記憶にも繋がり、次の(E)自分たちのクリエィティブな形に展開できる。(ゲーリー)  

4−3 Extensionsについて 

Extensions(応用)とは、自分が学んだことをもとに事態を予測できたり、仮説をもとに質問に答えることができたり、仮説を立てたりすることができることを指す。何故自分は社会で働くのか? 自分は社会(企業等)に何を貢献できるのか? 自分がみんなと違うことは何か? など社会に出ると、こういう自問自答をする場面が誰にもあります。つまりExtensionsとは自分が将来にむけて向かう目標や方向について考えるということで、これがないと人生では成功しません。(否、人生の意味が自覚できません)(柞磨)  


Eは教師が教えるものではないという意味は? 

(E)は(I)と(C)の結果生まれるものですから、(I)と(C)の学びができていないと(E)には到達しない。クィーンズ大学のフレーザー教授は、「学生は頭が良くても(C)がなかなか簡単ではない。だから教師の仕事は(C)をできるようになることに尽きる。(E)には教師は関与してはいけない。(E)に関与したら教師ではなくなる。」(E)は生徒が自分で生み出すものである。(ゲーリー) 

(E)は学びの成長における最終段階で、学んだことを十分に自分のものにしている。自分のアイデアが存在する。「この新しい知識は自分の世界観にどう影響するか」が考えられる。(E)は電車が急ブレーキをかけた時、OhとかAhとか言うあの時に生まれるもの。(Sue) 

①    (E)は、これは多くの人たちがなるほど(Aha!)、という時の学習体験のことです。すなわち自分が学習したことの意味合いを理解するということなのです。

②    自分が学んだことを使って、まったく新しい環境で、学んだ時とは違うところで使う、そして自分が学んだことに基づいて事態を予測することができる、仮説に基づく質問に答えることができる、または仮定を立てることができる。

③    わたしにとって(E)は、大学において教えようとしていることその物です。学生達がなぜ自分達が学習していることを学習したのか、どのように学習したかということによって、自分が世界とかかわるやり方が変わるという経験をする、ということだと考えています。

④   ICEのギアの絵が気に入っているのは、(I)が変われば(C)(E)も変わっていくことをうまく表していると思うからです。(E)のところまで行って、そこでまだ必要な知識が足りないと気付くかも知れません。そこから(I)に戻ってもっとたくさんの知識を得ようとする学生がでてきます。それだけ多くの知識を得た。(C)を飛ばして(E)をするということも起こります。

 ICEは段階ではなく、フレームワーク(枠組み)です。必ずしも(I)から始めて、(C)を通り、(E)にいかなければならないということではありません。(Sue)  


なぜ(E)が大切なのか? 

 ICEモデルの魅力は、「学ぶ者の成長を促すフレームワーク」であること、学ぶ者が基点になっていることにあると思う。しかし、これまでの経験から、資質・能力の育成や伸長に焦点が当たっているものの、学ぶ者が成長実感を感じているかどうかについては、あまり問題にされてこなかったように感じる。本来、学ぶことは成長につながるもので、学ぶにつれてアイデンティティが形成され、自尊感情や自己肯定感が高まるべきものだが、さまざまな調査結果をみると、そうとも言えない状況が多くみられる。 

私は、ICEの各フェーズのうち、Extensionsに重きを置いている。

Extensionsは「拡張」とされているが、単なる知識・技能の拡張ではなく、物事の本質をとらえ、それを自己の体験とリンクさせ、創造性を発揮するフェーズだと捉えている。究極は、それぞれの人が創造的に生きることであり、それが主体的ということでもあり、他者や社会とつながることでもある。Extensionsにおいて学びはパブリックなものに昇華する。そこには人と人との出会いがあり、心が通じ合うシーンの発現が期待できる。

Extensionsはリアリティに近いところにあり、人の学びの基盤となるものが存在する。私が「他者性」という言葉で代表して表現している、「異質なもの、拮抗する概念、不条理な」どがある。それは一見生きることを困難にする要素に思えるが、自分の可能性を拓くものとして働く重要なものであり、それが学びを豊かにする。文学が不条理を描いて深みを生み出してきたように、他者性がこのフェーズの学びに深みを与える源となる。現在の学校教育には「判断や意思決定」の場面があまり多くなく、それが学びに切実感をもたらさない一因となっている。

Extensionsでは、他者とかかわり合うという関係性における価値判断が求められる。それは共感や葛藤の中で行われ、矛盾を乗り越えた意思決定となることが多い。そのプロセスを経て「状況とかかわる力」が育ち、アイデンティティが成長し、人として成熟する。「成長を促すフレームワーク」とは、単に「できなかったことができるようになる」「物事を的確に、早く処理できるようになる」ということを示したものではなく、異質なもの、矛盾や相反する価値観で構成された中で、葛藤に導かれて成長し、真の強さを獲得するものであると捉えている。

IdeasやConnectionsはExtensionsを規定することはできないが、(E)は(C)や(I)を規定することができる。それが逆算デザインの持つ意義であり、学びに必然性、切実感や豊かさを与える。豊かな学びとは、自分の生き方に反映するような学び、自分の環世界を拡げる学びであり、それがExtensionsでの学びであろう。そこに至って「なぜ、古典を勉強するのですか?」という素朴な問いにも答えることができるようになる。


Super-Extensionsから始まる逆算授業設計とは?

  柞磨の授業は、逆算授業設計(バックワードデザイン)と呼び、Extensionsから入る。そのために、柞磨が開発したのが、Pre-ExtensionsとSuper-Extensionsである。学ぶモチベーション引出しである。柞磨チームは、さらに「ヘッダー」を創案する。「ヘッダー」を問いにつけることで、閉じた問いではなくなるからである。逆算授業設計の効果は、ExtensionsをSuper-Extensionsへ高めていく。 


(柞磨) 
(柞磨)

 どうして(E)は応用ではないのか? 

 生きて何をなせば良いのか人生のデザインも立たないようでは勉学をして学問をしたとは言えない。(岩橋文吉先生) 

意思決定、創造。その根っこは貢献である。それは他者のためでもあり、自分のためでもある。だから(E)は応用ではない。Super-Extensions =あなたは誰を幸せにできるか?(これこそがまさに質的な問い、評価である)(E)的なことでいうと、「学習で獲得した観点で自分の周囲の風景を眺めたとき、同じものを見ても以前とは違ったものに見える」ということがExtensionsの要件の一つと考えています。(柞磨) 


 ICEの最大の魅力,Extensionsについて 

 Extensionsは知識に息を吹き込み,知識が持つ本来の力を発揮させるフェーズである。その学びの場はリアリティのすぐ近くにあり,そこにある問いは切実さを伴って学ぶ者に働きかけてくる。それで学ぶ者は知識の真の使い手となるし,知識は閉ざされた紙面から解き放たれる。この意味から,学ぶ者はExtensionsフェーズに至って,学びにおける主体性を取り戻すことができると言えるだろう。それゆえ主体性を育む授業デザインの肝は「Extensionsをどのように作り出すか」にかかっている。

 Extensionsは授業の達成目標であるけれども,それは「本時の目標」として位置するような目標ではない。本時の目標は生徒の達成目標のような姿をしているが,実のところ教師の指導目標であって,多くの場合,生徒は目標を達成すればどのような世界の扉が開かれるのかわからないまま学びが進んでいく。このような学びに主体性の発露を見出すことは難しい。(柞磨「「ICEモデルで拓く主体的な学び」)  


Extensionsを中心とした学びがめざすものは何か? 

 Super-Extensions という概念を位置づけ,そこから逆算して授業をデザインすることで,「深い学び」についても考えることができるようになった。深い学びは,やがて訪れるリアリティの中で必要不可欠となるものであり,リアリティが持つカオスの中から深層構造を読み解き,多様な因子を組み合わせてものごとを解決していくための質の高い学びである。その学びはリアリティや問題解決の感覚を色濃く持ったものであり,主にExtensionsフェーズで行われる。それでこのフェーズでは,分析する,評価する,デザインする,(解決を)提案する,などの能動的な動詞が含まれているのである。特にこのフェーズでは「他者性」が重要であると考えている。Super-Extensions(本質目標)は社会とのかかわりの中で機能するものであり, 大前提として他者と対話し,協働してよりよい社会を創り出すという概念を含んでいる。したがってExtensionsフェーズでは「貢献する」という言葉が学びの活動目標として位置づく。それは「価値を創り出す」と言ってもいいだろう。価値を産み出さない学びの延長には奪い合いが待っている。奪い合いをするための力をつけるために学ぶのではない。貢献する,価値を創り出す,という動詞(活動)は大変重要なものだと考えている。

 ICEは成長のためのフレームワークであり,学びを通して学ぶ者を勇気づけ,生きるうえで重要なアイデンティティを成長させるものである。Super- Extensionsはそのための方向性を与え,Extensionsはその学びを実現させるためのフェーズである。教師はこのことを理解し,Ideas,Connectionsフェーズでのプライベートな学びが,他者との対話や協働を意識したパブリックな学びに変わるよう授業デザインをすることが求められる。実践当たって,このことをより明確にするために,授業デザインはExtensionsから逆算して行うことにした。また,ヘッダーというExtensionsからエッセンスを抽出した内容を授業の冒頭に配置したり,ICEコンテンツ表をつくって学習内容を可視化し,Extensionsを授業の中心に置き機能化を図るなどの工夫を行った。これらの取組は実際に高い効果を発揮してきた。(柞磨「ICEモデルで拓く主体的な学び」)  


Pre –Extensionsとは? 

 自分の学びのテーマへの関心や目標は、Pre-Extensionsによって意識づけられているので、学んだ結果物の応用というのでもない。むしろ学びを通じて最初は想像をできなかった発見などの体験が人としての成長を促して次の学びへと誘導していくプロセスではないだろうか。 

Pre-Extensionsとは、自分が学んだことをもとに事態を予測できたり、仮説をもとに質問に答えることができたり、仮説を立てたりすることができることを指す。何故自分は社会で働くのか? 自分は社会に何を貢献できるのか? 自分がみんなと違うことは何か? など社会に出ると、こういう自問自答をする場面が誰にもあります。つまりPre-Extensionsとは自分が将来にむけて向かう目標や方向について考えるということで、これがないと人生では成功しません。(否、人生の意味が自覚できません) 

 日本人は単独の技術開発や製造は得意とするが、構造的なシステムの構築は欧米に比べて劣ることが指摘されている。日本人の弱点である。究極の技を持っていながらその知識をつなげてシステム化しない。つまり目的以外の探求をしない。各論の日本人、総論の欧米人と言っても良い。学びにおいても同じである。知識(I)は単独ではより機能の高い働きをしない。全体像を持たない構想や学びは高い壁を乗り越えることができない。ICEの(E)は学びの一つの到達でもあり、本質でもある。そこで柞磨は(E)から始める学びのために、Pre -Extensionsというものを考えてみた。学びの中心から周辺へというプロセスができる。井上ひさしは全ての学びは主語を自分とすることであると言う。自分にとっての意味、他者への影響、社会への影響など主語は自分である。つまり、避けられない関心を最初に設定することになり、関心は高まる。かつ全体像を考えるので新たに生み出されるであろう(E)とPre –Extensionsの本質は同じである。さらに、(E)にはauthenticな(E)が存在する。(Super-Extensions)


究極の目標,Super Extensionsについて?

  Extensionsは何なのか。Extensionsは主体的な学びの一里塚に例えることができる。当初,ICEによって授業デザインを進めて行く中で,壁に突き当たってしまった。その壁は英語の授業デザインを考えているときに訪れた。英語を学ぶ真の意味は何か。生徒にとってどんな意義があるのだろうか。何度も議論を重ねるうち,Extensionsの先にもっと別の価値あるものがあるのではないか,ということに気づいた。それを,Extensionsを越えたもの,という意味で「Super- Extensions」と呼ぶことにした。Super- Extensionsはいわば究極の目標であり,生徒が実社会で社会人として営みを始め社会とかかわっていくとき,あるいは切実な問いと対峙したとき,生きることに対する表現者や問題解決者としての力を与えるものである。教師は授業をデザインする際,扱う内容が究極として生徒に何をもたらし得るのか,それが生徒のアイデンティティの成長をどのように促すのかを考え,本時の学びの遠い先にペグを打ち込む必要がある。そのペグこそがSuper- Extensionsであり,そこから糸を引くように逆算して本時の授業をデザインする。それは教師にとって苦しい作業であることが多い。なぜなら,教師自身が主体として学びに向き合い,学びの意味や意義をとらえなければならないからである。そのことによって教師は主体としての立ち位置を実感することができる。こうして教師も生徒も,「目標を達成することが目標」という、閉じた学び(強いられるだけの学び)から脱却することができる。

 •       世界の人口が73億人から100億人になる中で全ての問題はここに行き着くのではないか?
•       人類全体の問題は50年前にも予測できた。「人類の危機」「成長の限界」「消費社会の崩壊」「金融社会の崩壊」
•       理系世界と人文世界が一体となって解決しなければならない。
•       “グローバル化”という言葉は何を語っているのか? 視点が変われば全く違うことになる。
•       教育も企業もこういう認識の中で位置づけなければならないはず。
•       日本の蛸壺社会から解放はできるのか?
•       教育でも企業でもエリート教育は社会を救うか?
•       日本のエリート大学の教育はAuthenticな人材を育てられるのか?  
•       日本の大企業の組織や経営品質は国内でも海外でも崩壊しつつある。 •       ベンチャーが社会を変える時代になっている。
•       B2Bで忘れていることは何か? There is no B without C.
•       改めてモノの品質から経営品質へ。 ⇒改めてMBA賞を考える
•       SNSの未来? How to protect yourself from Fake News?
•       IOTの未来? 情報の意味とは?
•       AIの未来? AIが勝てないものはモチベーションを持つこと------
(柞磨「「ICEモデルで拓く主体的な学び」」 

学びの本質目標である。実社会で働く力となるもののこと。これは教科の学びを超えた社会で生きる力となるものである。だから学びにはリアリティが必要になる。(柞磨 「ICEモデルで拓く主体的な学び」)


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