展覧会の感想をnoteに書くときしていること。
「美術展ならいっぱい見てる。何か感想をnoteに書きたいけど、なんか書けないな」
「ラーララ ララーラ 言葉にできない」
という方もいるかもしれない。
私は他の方が見た感想を読むのが大好きだ。
なので、もし「感想を書くこと」に難色を示して一歩踏み出せない方がいたら、これを読んで気軽に書くきっかけになってくれたら嬉しい。
なんて大義名分を大きく掲げたけれど
感想投稿が増えたら、私が読みに行けるから。
というものすごい自分勝手な理由でこれを書いている。
なので、自分が書く時のハードルの低さがもし誰かの参考になるなら、共有するし、その結果、感想がたくさん読めたら嬉しい。
「それってあなたの感想ですよね」を増やしたい。
※もう書き方がバッチリ決まってる、そこにネックを感じていないクリエイターの方、はどうかそのまま感想の投稿を続けて欲しい。
【していること】
私がしていることは以下2つだ。
全部書かない、書こうとしない(書けない)
まず展示点数は多いもので300点とかある。
この中で一つでも気に入った作品があればラッキーという気持ちで観ている。下手するとどれも印象に残らないなんてことも起きる。
だから気に入った1点や2点について書けばいいや、と気軽に書き始める。
目の前の作品の中でどうしても内面との対話が進んで行く作品というものと出会う時がある。そういう物を書き残している。
展覧会の全部を語るのは私の役目ではない。
次見る人が語れればよい、というスタンスでいる。
自分の記憶に残った1作品でもそれが誰かに伝わって繋がって「なんかおもしろそうかも?」「行ってみようかな」という「きっかけ」になれればとても嬉しい。
そして「あの人が紹介してた作品よりいいのあるじゃん!」となったらもっと嬉しい。
構成だけだいたい決めておく
だいたいの構成を決めておく。
それに当てはめて書いていたりする。
こんな構成の事が多い。
構成はこんなだけど、必ずしも1から順番に書き始めている訳ではない。
溢れるパッションにまかせて3からガッーっと言葉にしてることもある。
4の余談からだらだら書き始めて最終的にこの形に入れ替えて並べている、なんてこともある。
【そもそも美術なんて不確実なことが多い】
美術全般についてだが、後からああでもないこうでもないとも言えるけど、確実に作っている最中の時間というものは存在して、それがどういう意味なのかなんなのかって案外わかっているようでわかってないのではないか。
作者しか知り得ない世界が必ず存在する。
自分は出来上がった後しか見ることはできない。
そう腹をくくると、どんな感想を抱いてもある程度自由だと思う。
正解とかきっと確定してないから気にしなくてよいのではないか。
あまり言葉をつくしてなめらかに語ろうとしなくて良いのではないだろうか。
出来上がった後、意図とするのかしないのかわからないけど少なくとも第三者が言えるのって「実物を見た感想だけでは?」と思ってしまう。
フルネームで執筆されてないweb上の批評やコラムは所詮不確かだし、引用元もわからないならば、AIが書いているかもしれない。
そういうものに、振り回されずに、引っ張られずに、あなたは、あなたの言葉で書けば良いと思う。
「なんかいいなと思った(なんでかはまだわからない)」とかでも良いと思う。
率直に思ったことをポツポツ残しておくと後から、急にピンとくる日がくるかもしれない。
最近、初見から4年かかって「!」となった作品もあるし、最初は「ビミョー?」と思っていてもジワジワ「あれ?良いかも?」になることもある。
その最初の「ビミョー」も記録しておくと面白い。
自分の趣味嗜好が後から判明して、今まで気になっていた作品が線で繋がる、なんて事もあるかもしれない。
↑初見から4年後「!」の件。
もちろん、展覧会を見てる時に「どうやって感想書こう?」なんてことは一切考えなくてよい。
下手するとメモも要らないんじゃないかと思ってる。(見ることに慣れてる方は良いと思う)
どうしてもの時はその場の方に借りる。
最終的に自然と思い出せるくらいの作品が、その日の自分にとっての収穫なのだから。
考えないと出てこない感想の苦痛さ
読書感想文を書かされる前提で読まされる課題図書の面白くなさを子供の頃に経験したことが大きい。感想を要求されることの辛さと言ったらいいのか。
読んでる時は楽しい本のハズなのにその後のことを考えなければならない辛さ。
美術がそうなってほしくないので、書きたくない、書かないのも、感想を無理に抱かないというのも方法の一つかもしれない。
でも人の感想を読んでみたい、という矛盾。アウトプットする楽しさ、も共感したい。
番外編
文章を書くのが苦手だった幼少期の目からウロコな体験
小学校低学年の頃、作文や読書感想文が嫌いだった。
同じく作文が苦手で居残りをさせられていたF川くんという子がいた。私の方はなんとか原稿用紙のマス目の埋めて提出したけれど、F川くんの原稿用紙はその日も真っ白なままだった。
文集が出来上がった時、真っ先にF川くんの文を読みに行った。
結局、彼は文が書けたのだろうか?
提出できたのだろうか?
という好奇心だった。
読んでみて度肝を抜かれた。
タイトルは「作文が書けない僕」。
彼は、作文が書けないことを作文にしていた。
その発想の転換、なぜ作文が書けないのか淡々と記してある文章。
(これは凄い作文だ!)と思った。
その時、私の中でも何か吹っ切れた気がして、文章を書くことが苦痛では無くなったと思う。
(いざとなったら「書けない」話を書けばいいんだ)
そんな迂回路というか逃げ道というか、切り札を持ったというか。
新たな視点をもたらしてくれた出来事だった。
今こうしてnoteに思い思いの感想をしたためたり、仕事のコミュニケーションで困らない程度に文章に対する苦手意識が薄いのはF川君のおかげかもしれない。