経営者に届いた企画書は“妥協の産物”
[要旨]
ブリヂストン元CEOの荒川詔四さんによれば、経営者は常に「手元に届いた企画書は“妥協の産物”である」と認識したうえで、「この企画が、本来持っていた価値を失っているかもしれない」と認識しなければならないということです。なぜなら、起案者は尖った企画書をまとめたとしても、上層部や他部署との調整を重ねるうちに、尖っていた角が取れてしまい、戦闘力の低い“丸まった企画”へと変質してしまうことが多いからだそうです。そこで、経営者は自ら企画書を読み込んで、その企画の肝が何なのかをつかみ取り、その企画があるべきだった姿を描き出す、丸まってしまった部分を経営者の手で尖らせていくといった対応が必要になるということです。
[本文]
今回も、前回に引き続き、ブリヂストン元CEOの荒川詔四さんのご著書、「臆病な経営者こそ『最強』である。」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、荒川さんによれば、ジョブ型雇用の人材を増やすと、会社の縦割化が進みますが、そのような人たちがもたらす成果は「戦闘力」が高く、会社の競争力を高めることができるので、これからは、経営者には、そのような人たちをうまくマネジメントするスキルが求められるようになるということについて説明しました。
これに続いて、荒川さんは、日本型組織では、提案書は尖った角が取れてしまう傾向があるので、経営者はそれを尖らせる役割があるということについて述べておられます。「ともあれ、日本では、『メンバーシップ型雇用』と、『ジョブ型雇用』のいいところ取りをすることで、『組織のフレキシビリティ』と『高い戦闘力』を兼ね備えた雇用制度を生み出すことができるのではないかと思っています。ただ、こうした制度設計も重要ですが、最終的に問われるのは、経営者のマネジメント能力だと思います。
ここでは、2点について指摘しておきたいと思います。第1に、日本型組織においては、経営者に上がってくる提案は、すべて、『妥協の産物』であることを認識する必要があるということです。すでに述べたように、日本人の多くは自らが立案した企画が、社内的な軋轢を生まないように配慮します。ある程度、『ジョブ型』人材が育ったとしても、このような傾向は拭いがたく残るはずです。
あるいは、起案者は尖った企画書をまとめたとしても、上層部や他部署との調整を重ねるうちに、尖っていた『角』が取れてしまい、『戦闘力』の低い“丸まった企画”へと変質してしまうことが非常に多いはずです。経営者は、このメカニズムに敏感でなければなりません。なかには、『たくさんの人間が長い時間をかけて検討して、この企画書に結実したのだろう』と、そのままハンコを押す人物もいますが、このような判断は論外です。そもそも、それでは経営者がいてもいなくても結論が変わらないわけで、経営者の存在意義がないと言わざるをえません。
だから、経営者は常に『手元に届いた企画書は“妥協の産物”である』と認識したうえで、『この企画が、本来持っていた価値を失っているかもしれない……』と不安を覚える必要があります。そして、自ら企画書を読み込んで、その企画の『肝』が何なのかをつかみ取る。不明点や疑問点は関係者を呼んで確認する。こうしたプロセスを通して、その企画が『あるべきだった姿』を描き出す。必要であれば、『丸まってしまった部分』を、経営者の手で尖らせていくのです。これは、実は、経営者にしかできない仕事です。
なぜなら、企画を尖らせた結果、いくつかの部署から抵抗を受けたとしても、それを押し戻すことができるのは、最高権力者である経営者しかいないからです。『権力』とは本来、こういう局面でこそ使うべきものなのです。そして、経営者が、たとえ社内に軋轢が生じたとしても、尖った『戦闘力』のある提案にこそ、価値があると示すことには、大きな意味があります。社内に育ち始めた『ジョブ型人材』を勇気づけて、『社内の軋轢を恐れる必要はない、自分が本気で思っているアイディアをそのままの形で提案してもいいんだ!』と思ってもらうことができるからです」(126ページ)
20世紀までは、尖った事業よりも、あまりリスクのない事業の方が、事業を安定的に拡大することができた思いますが、21世紀になり、経済活動が成熟化してくると、尖った事業でなければ「戦闘力」も高くすることができなくなってきていると思います。そういう観点から、荒川さんがご指摘しておられるように、「丸まってしまった部分を経営者の手で尖らせる」ことの重要性が増していると私も考えています。
ちなみに、荒川さんがご指摘している取り組みに近いものに、ガリガリ君を製造している赤城乳業の「言える化」があります。経営学者の遠藤功さんのご著書、「『カルチャー』を経営のど真ん中に据える-『現場からの風土改革』で組織を再生させる処方箋」に、言える化について、次のように紹介されています。
「日本で一番売れているアイスキャンディ『ガリガリ君』で知られる赤城乳業は、20代、30代の若手社員が大活躍する会社としても有名だ。(中略)その背景にあるのは、『言える化』と呼ぶ独自の組織風土である。赤城乳業は、『何でも自由に言える会社』を目指して、自由闊達な組織風土を醸成してきたのである。(中略)組織というのは、『言えない化』、『言わない化』に陥るのが普通である。上下間や部門間の垣根やしがらみが幾重にも重なり、いつの間にか官僚化、硬直化してしまう。(中略)そして、次第に組織は活力を失っていく。(中略)
だからこそ、それに抗うように、『言える化』の土壌を育まなければならないと、赤城乳業は考えているのである。具体的には、同社は、次のような2つの工夫を行っている。(1)『言える化』を実践する『場』の設営:『場』の設営とは、社員が自由闊達に何でも言える『場』をしつらえることである。委員会やプロジェクトが『場』であり、そのリーダーは若手が抜擢されることが多い。また、面白いアイデアを持ち、やる気のある若手社員には、思い切って仕事を任せ、自由にやらせている。(中略)
(2)『言える化』を加速する『仕組み』の構築:『仕組み』の構築とは、『言える化』の実践を側面からサポートし、加速させるシステムをつくり上げることである。『何でも言え』と言っておきながら、言ったことがマイナスの評価につながるのでは、社員は何も言わない。言った者がプラスに評価される制度や、若手社員の活躍を社内で積極的に共有するなど、『言える化』をドライブする仕組みが不可欠である。(中略)井上会長は、相手が誰であっても、途中で相手の言葉を遮ることをしない。そうした経営者の姿勢こそが、良質な組織風土を醸成するのである」(91ページ)
実のところ、私は、赤城乳業のように「言える化」を実践しても、それでもヒット商品は容易には生まれないと思っています。でも、言える化を実践していなければ、丸くなった提案ばかりで、尖った提案は出されないわけですから、もっとヒット商品は生まれることはないでしょう。そして、荒川さんは、「丸いものを尖らせることができるのは経営者だけだ、権力というのはこういう時に使うものだ」とご指摘しておられます。したがって、尖った競争力の高い事業ができるかどうかは、経営者がその権力を適切に使っているかどうかと言えます。赤城乳業の井上会長もそれを理解しているから、「言える化」を徹底しているのだと思います。
2024/11/19 No.2897