投了もやむなし/待った
状況は極めて絶望的だと言えた。
頭に容赦のない金が載っている。取って駄目、逃げても駄目、見ていても駄目。ダメダメダメダメ。どうしても駄目なようだった。
「あかん、あかん、あかん、あかん!」
通りすがりの犬も一目見て吠えかかった。
遠くから角が睨み玉を直射していたが、遮る手段は見当たらない。三つもの桂馬が信じ難いことに三方から玉に迫っている。敵将は蟻の這い出る隙間もないほどに強固な城の中に隠れ、王手をかける可能性さえない。見れば見るほどに駄目な状況であり、ダメダメのオンパレードだった。
(投了もやむなし)
客観的にみて状況は絶望的だ。
「まあ待て」
自分の中に潜むマイノリティーが待ったをかけている。まだ何か見落としてはいないか。何か思わぬ違った見方があるのではないか。追い込まれた心が視野を狭くしてはいないか。犬の声が問題か。それは重要ではない。投了ならばいつだってできる。
君は改めて盤面全体を見渡した。香が最下段から厳しく玉を突き刺していたが、くい止めるべき歩が一枚もない。一方では終わらないと金作りが着々と進んでおり、駒損に歯止めをかける術はなかった。最も恐ろしい龍が一間置いた空間から玉に覆い被さり、もはやふりほどく手段は尽きていた。
「あかん、あかん、あかん、あかん!」
上空に集まった鴉が棋勢を見下ろして鳴いていた。
(投了もやむなし)
「まあ待て」
最終的な結論が出た後になっても、まだ引き留める何者かが生き残っている。何か重大な思い違いをしてはいないか。何か見落としていることがあるのではないか。鴉の声が何だ。それはまるで重要ではない。いい意味で、まだ何かあるのでは……。自分が見落としていて、敵も見落としている重要な何か。一つでいい。すべてが駄目だという絶望の中でも、たった一つの何かが見つかれば状況は変わる。たった一手でいい。希望は生まれるのだ。見えていない世界が、まだあるのかもしれない。
何度見ても状況は変わらない。新しい要素が何一つみつからない。攻撃に出て行った銀は全く関係のない場所で遊びほうけている。一方で要の金を補佐すべき守備的な銀は、単純な壁となって自玉の退路に存在し、それはまさに完全な裏切りと言えた。その他にも隅から一歩も動かぬままの香、さばきの意志を捨てた桂馬、かえらぬ金、やまない雨、しつこく痛む古傷、裏切りの友(幻の親友)、消せない記憶、あふれるゴミ、奪われた時間、戻らぬ恋人……。探せばいくらでもわるいことばかりをみつけることができた。
もう「待った」をかける者は誰もいない。
(投了もやむなし)
「あかんにゃあ」
盤の下から猫が顔を出して鳴いた。確かに一枚の歩をくわえている猫の姿を君はみつけた。
応手なき2四桂に対すれば
今が頭をしずめる時か
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