祈りながら、走る
私の住んでいるまちで、火事があった。
消防車が20台以上出動して、ようやく火が消し止められた。
出火元は、私の患者さんが住んでいるマンションだった。人工呼吸器をつけたまま、日々を生きている男の子の住むマンションだった。
その、最上階が燃えた。
在宅用の高濃度の酸素ボンベは、火の元では爆発の原因となる。
その子の住む部屋は出火元よりだいぶ下の3階だったので、幸いにも上へ上へと上がっていく煙の性質上、その子への直接の被害はなく無事だった。
しかしその火事によって、知らない別の誰かの命は燃え尽きた。亡くなったのは、私とさほど歳の差のない人だったとニュースで知った。
◇◇◇
元旦。
29日から1日朝まで働いて、オンコール用iPhoneの電源をようやく切った。
新幹線に乗って、長野に帰省する。
一家団欒の最中、震度5の長い横揺れを体感し、その後の中継で石川付近が大変なことになっていることを知った。津波の映像と、大規模な火災が発生していることを目の当たりにした。
ただ、祈ることしか出来ない。
火は、ぜんぶを急にゼロにする。
必要なもの、無くしたくないもの、消えてほしくないもの、ずっと此処にあってほしいもの、そういうふうに思うものがあるから、私たちは何か『物』を買うけれど、それらはぜんぶ、燃えれば無くなってしまうものばかりだ。
私たちは時に不必要なものまで買ってしまうし、もう要らなくなったと思っても、いつかまた使うかもしれないからといって捨てられない。たくさんの物に囲まれて生きている。
そういうことを分かっていても、やっぱり今日も何かにお金を使って、何かを自分のものにして、物を買って、家に置いていく。
いつかは無くなってしまうと分かるのに、それを手に入れたいと思う。
だけどそれは、今この瞬間はそれを欲していて、このあとも、生きて、それを使っていくつもりがあるということだよなぁとも思う。
物を買う。
日々は、続いていくという、ていで。
そのほうがいい。それのほうがいい。
いつか無くなるていよりも、ずっと使い続けるていのほうが、ずっとずっと良い。
◇◇◇
第100回箱根駅伝です。
登録メンバーの中には、今生まれ故郷が大変なことになっているという方もいるのだろうか。
避難している方の中にも、この大会を応援することを楽しみにしていた方がいただろうなぁ。
気が気ではないと思う。
駅伝どころではない人々も、同じ国内に今いるということが、事実。
石油ストーブの火のもとで、ぬくぬくと箱根の号砲を聞いて、今年も無事に久石譲のRUNNER OF THE SPIRITを聞くことが出来た私は、どう心配したところで、対岸の火事の姿勢なのかもしれない。
しかし、年始から被害に遭われた方を思うと心苦しいのも本当。きっと召集され夜通し働いているであろう被災地の医療機関の仲間たちを思うと胸が苦しくなるのも本当。
1世紀続く大会の歴史を、今日も応援し続けることができる喜びの気持ちも本当。
多くの思いが、新年から駆け巡る。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。