【平成】という、めちゃくちゃ強い30巻。
「人生最初に見たニュースの記憶はなんですか。」
そう聞かれたら、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
私がよく聞くポッドキャストに【無限まやかし】というチャンネルがある。
どれくらいよく聞くかというと、好きな回は1つの放送につき10回は聞き返すほどだ。
無限まやかしとは、大島育宙さん(平成4年生まれ)と高野水登さん(平成5年生まれ)が、2人であらゆるまやかしについて、ただ気が済むまで話し倒すチャンネルである。
空いている時間、何か聞いていなければ損をしているような気分になるまでに、この情報化社会に埋没してしまった平成6年生まれの私は、朝起きては「無限まやかし」を再生し、仕事が終われば帰宅路で「無限まやかし」を再生し、眠る前のひと時にも「無限まやかし」を再生する、気付いたらそんな日々を送っていた。
新しいものがアップされると嬉しくて、なかなかアップされない時はしょんぼりと過去回を聞き直す。
2人の会話に、笑ったり頷いたりツッコミを入れたりしながら、日常的にこの番組を拝聴している。
それなのに、これまで、ただの一度もチャンネルへコメントを残したことがなかった。
無限まやかしからのインプットは、すでにシャワーのごとく浴びているというのに、確実に、そのアウトプットが足りていない。
そもそも日々のアウトプット不足はこれだけに言えたことではない。
この間観て、死ぬほど心に突き刺さった映画スピルバーグ監督作品「フェイブルマンズ」も、リマスター上映された「タイタニック」も、ちらっとツイートしただけで、言語化せずに時が流れてしまっている。
そんな中で、この無限まやかしに、私の中で激アツな話題が投下された。
その名も【平成の事件史】だ。
中でも、最近の大島さんの発言に、この人は日々なんて面白いことを考えながら生きているんだと度肝を抜かれた。
確かに「平成」という時代は、こんなの漫画だよな!と笑っちゃう程の展開が果てしなく多い。
物語としては起承転転転結みたいな大傑作だ。
しかも、ここで告白しておくと、私は「自分の年表」を更新しながら生きているような変人なので、2人の話を聞きながら、久しぶりに腹の底から湧き上がるアウトプット欲のようなものが芽生えた。
物心つく前後の平成
そもそも私が生まれた平成6年という時代は最低だった。ここはまだ記憶しているわけではないけれど、歴史がそれを物語っている。
晴れて生まれた0歳の冬には阪神・淡路大震災が起こり、春ももうすぐそこという頃に地下鉄サリン事件だ。
生まれてきた世界の序章としては散々だろう。
そこから並走する人生のトップニュース達は、まさに漫画の各章のタイトルにもってこいと言わんばかりのスゴみの強いもので溢れ返っていく。
おそらく【バブル崩壊】が『平成』序盤の見せ場としてドーンとくるのだろうが、私はそこの記憶はないので、物心ついた時の、一番最初の事件から述べていくこととする。
「1997年、少年A」
当時3歳。神戸連続児童殺傷事件。
これが記憶する1番最初の事件だった。
残虐すぎる事件の加害者が未成年で、当時ずっと報道され続けていた。ただこれは、3歳の私自身が事件の概要を理解して衝撃を受けたのではない。
“自分が”どう思ったとかじゃない。
“家族が”あーだこーだ言っていた、そのエピソード記憶として自分の「覚えている」に追加されたという点において、これは『9.11』について話す高野さんと同じだった。
校門前に遺体の頭部が置かれたなどの、理解し難いニュースに、ただ、3歳の私の中に「ころし」とか「こわい」とか、そういう語彙が増えたことだけは、確かだった。
「1997年、消費税5%へ増税」
同年の同時期に起きた出来事として、これも覚えている。
もちろん金勘定は分からない。近所の100均「ダイソー」の品物が103円から105円に値上がりしたことで、両親と姉が何やらボヤいていたという、これまたエピソード記憶だ。
大島さんが覚えている初めての平成のニュースは、その翌年の和歌山のカレー事件だっていうけれど、それは私自身、覚えていなかった。
それから、その後に「ノストラダムスの大予言」とか「21世紀」に世紀が変わるとか、そういうニュースで世間は持ちきりだったのだろうが、どちらにせよノストラダムスも21世紀になるというお祭りのような瞬間も、記憶にない。残念だ。
誰かの予言なんかで世界が終わるのかもしれないということを本当に信じてしまう人が多くいたような混沌とした世は、きっともう来ないんじゃないかと思う。
そして、次の世紀の代わり目にもきっと、生きていることはないとしたら、もう味わう事のない【歴史】の一端を味わいそびれたような、残念な気持ちだ。
鮮明な記憶
「2001.9.11」
私の家庭も高野家同様「圧倒的にテレビを見ない家庭」で、その代わり、家には常にラジオが流れていた。
ラジオは、当たり前だが耳からしか入ってこない。
喋っている人についても、その内容についても、頭で想像するしかない。
だからこそ、たまに見るテレビから得る『映像』の強さは、一般的に常にテレビを見ている人達と比較して、より鮮明だったのかもしれない。
『9.11』の映像の、あの日の衝撃は凄かった。
正直に言って何が起きていたのか、あの事件の背景までは当時全然分かっていなかったが、あの映像の衝撃だけは今でもはっきりと覚えている。
そして、高野さんが「テレビ見なさすぎて覚えてる次の事件が【高校生の時にマイケルジャクソン死んだ】」って言っていたところ、2001年の9.11から、高校生になるまでの10年くらいを、さすがに平成ジャンプしすぎだろって笑えた。
マイケルは偉大。
そう、閑話休題だが、個人的に衝撃的だったのは、『Hey!Say!JUMP』という名前のグループがこの世に誕生したことだった。
平成ジャンプ!?
なぜその名前じゃなきゃダメだったんだ!?
令和になっても平成ジャンプし続けている彼らを讃えたい。
そしてこれは「事件」の1つとして書いておいてもいいと思う2001年【千と千尋の神隠し】公開。無限まやかしで、駿アニメ全放送が決まったことに、喜びを隠せないでいます。ありがとうございます。
「小泉内閣発足」
あと、凄く衝撃が強かったかと言われると自信ないけれど、ばあちゃんが小泉内閣発足したことについて色々言っていたなという記憶だけはある。
そのあとの靖国参拝とか、郵政民営化とか、ことあるごとに、ばあちゃんはテレビの中の小泉さんになんか言っていた。
「2002年、ゆとり教育始動」
これは大島さん高野さんも直接くらった社会現象じゃないですか?それとも、大島さんは大学附属の小学校って言っていたから、さほど影響なかったのだろうか。
私は、小2から急に土曜日の学校なくなって、4つ上のお姉ちゃんが使ってた教科書よりも明らかに薄っぺらい教科書が配られて、算数の授業では「円の求め方ですが、今までは3.14って教えてたんだけど、君たちの時代は“3”になったから」って先生が言っていたことを、結構衝撃として覚えている。
あとは日韓ワールドカップかな?
テレビをつければサッカーで、なんか不景気とか言われていた割には日本がめちゃくちゃ熱気に包まれていたのが、あの時代、肌感覚で分かった。
「2003年、はやぶさ打ち上げ」
お〜ロケットってほんとにあるんだ〜
という初めての衝撃と、人間って本当に宇宙にいけるんだという実感。【宇宙】の映像がたくさん流れていて、地球外に初めて思いを馳せたのが、はやぶさの打ち上げ映像だった。
今もYouTubeで見れたから、載せておく。
あと、この頃みんな「世界にひとつだけの花」歌ってたな。この歌の影響なのか、この頃のマインドって結構「ナンバーワンよりオンリーワン」の空気だったなぁと思う。
「2000年代の、スポーツニュース」
小学生の頃の所感として、世界と戦っても日本強いってのがあった。
2004年のアテネでの北島康介「チョー気持ち良い」とか、2006年トリノでの荒川静香イナバウアー、それから浅田真央ちゃんがあのピンクの衣装でくるっくる回り始めたのもこの時期だよね。天使かと思った。
当時、北島康介がすっごい大人に見えていたけれど、あの当時まだ21歳だったらしい。結構衝撃的。21歳であの度胸と結果は凄いな。
あの時代を思い返すと、日本にちゃんと活気があったように思う。スポーツとかそんなに興味ない私でも、これだけ覚えていて、あの時代の空気感までも思い出せる勝利だったのだと思うから。
あ、そうそう。スポーツ興味ないと言いつつ、唯一小学生の頃から欠かさずに見ている大会がある。
2009年、柏原竜二選手東洋大学入学以降から見始めた箱根駅伝だ。この年に、大会テーマ曲が久石譲「Runner of the Spirit」に変わったのだ。久石譲が箱根駅伝のために書き下ろしたこのテーマ曲を聴くことも、箱根駅伝を見る楽しみの一つである。
そしてこの後の、平成中期〜後期への各章のタイトルとして推していきたいのは、【首相変わり過ぎ問題】【オバマ大統領就任】【スカイツリーできた】【東日本大地震】【島田紳介引退】【iPS細胞ノーベル賞受賞】そして【天皇陛下の生前退位】。
なんか本当に、色々思い出すなぁ。
不景気、リーマンショック、自殺にいじめ。違法ドラッグ、不倫暴行虐待。大規模自然災害は、記憶に新しい順に数えても、片手がすぐに埋まっていく。
なんて時代だろう。
失われた30年を生きた
その初期に生まれ、まさにその30年を生きてきた。
だけど、失われただけじゃないんだよな、とも思うんだ。
私が思うに「携帯電話」と「音楽プレーヤー」の進化、これこそを、平成時代の象徴と言いたい。
平成30巻漫画の裏テーマとして、語られなくとも絵だけで分かるのは、1巻から30巻の中で主人公達が手に取り耳に繋ぐ電子機器・通信手段が、明らかに凄いスピードで変わっていくことだろう。
そして、おそらく登場人物達の服装の変遷でも、平成30巻漫画、めちゃくちゃ楽しめると思う。
初期【バブリーファッション】から始まって【ギャル】への進化。
20巻から30巻の間では、男性の激盛りツンツンヘアから増産型マッシュへの変化も面白そうだ。
晩期にはイエベだのブルベだの、骨格がどうのこうのと自分の好みさえも『診断』に頼る時代へと変化する。
平成のエンタメ性って、やっぱり相当面白い!!
年表更新生活。
昔から、自分の人生とはなんなのだろうということをよく考える習慣があった。
それは「何の為に生きているんだろう」とかそういうことよりかは、「何を観て何を感じたからこそ、どの選択をするに至ったのか」を振り返ることが、単純に好きだった。今ここでこうしているに至るまでのルーツがなんだったのかということを、常に明確化していくことを楽しんでいたとも言える。
なんとなく昔から、常にその『“時代“を生きている』という自覚が強くあって、その時に何があって、世の中はどう動いていて、自分は何が好きで、どんなコンテンツを見て、どう心を動かされたのかなどを、iPhoneにメモし続けていた結果、いつの間にか勝手に「自分の年表」が出来上がっていた。
それは、かなりシンプルなもので、表に
年号|年齢|出来事(その時心揺さぶられたもの。事件、上映された映画、聞いた音楽、人生観が変わった本や漫画など)
たったこれだけが、書き連ねられている。
一見、「リアルの事件」と「架空コンテンツ」(映画やドラマ、漫画、音楽、本)って、同列にあるべきなのかと思われそうだけれど、結局生きている限り、人間は考える葦なんだよな。
『事件』は、現実で起きた事象に対して自分はどの位置で関わっていて・あるいは無関係で、それをどう見て、何を考えたかによって“生きる”に多少なりとも影響を及ぼす。
『コンテンツ』は架空の世界で起きている物語を、その時の自分のメンタルではどんな捉え方をして、何を考えたのかがすごく浮き彫りになる。
だから実際に「あの映画をみて〇〇になりたいと思った」人がいたり、それを口に出さなくとも、または実際に行動に移せなかったとしても、心の奥底に昔、ああなりたかった自分だけの主人公がいたりする。なれやしないのにちょっと喋り方真似てみちゃったり、悪役に対する嫌悪感みたいなものの芽生えによって「あー、自分はこういうところに正義感を燃やすタイプなんだ」って気付いたりする。それって割と『架空』から吸収したものが『現実』に直結されてる証というか、映画ドラマ漫画小説みたいな娯楽と括られるものによって、実際の“生きる”に影響を及ぼす証なんだよなと思ったりしている。
だからこそ、この【自分の年表】という地図を元に、自分はどの時のどんなコンテンツに心揺さぶられて、どの時代にこれからの事を改めて考え直して、そして今ここにいるんだという自己を確認するツールとして、“生きる”を更新し続けているんだと思う。
年表を見ながらいつでも「自分の人生、ちゃんと意味のあるものだったな」って自分で自分を肯定していけるから、もしかしたら年表づくりは、セルフメンタルヘルスケアが得意な所以なのかもしれない。
長くなったけれど、無限まやかしを聞いて考えたことを、時にアウトプットすることこそ、日々の無限まやかしのお二人への感謝の意味も込めた【無限まやかし平成事件史】回への長すぎるコメントと応援になり得るのではないかと思っている。
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完全趣味回。お読みいただき、ありがとうございました。最後に2人の面白トークを共有します。雨降りの夜に、騙されたと思って、ぜひ、聞いてみて下さい。
あなたの記憶に突き刺さる「ものごころついた時の最初のニュース」や「平成事件史」も、教えてほしいなと思います。ニヤニヤしながらコメント読みます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。