被災地域外に在るということ
新年早々、能登半島地震や羽田空港での航空機衝突事故が発生し、悲惨な現場の報道が続いています。衝撃的な映像や写真に、テレビをつけるたびに、インターネットに接続するたびに、自然と触れ続け、心が、疲労してくるのが分かります。
「被災地の人たちはもっと大変なのに」
そういう思いで、被災地域以外の人の心が、知らず知らずのうちに沈んでしまうことは、沢山あります。自分はこんなにも平常通り日常を送っていていいものかと、悪いことなんか何もしていないのに、急に自責の念を感じてしまったり、無力感で押し潰されてしまいそうになることがあります。
そうやって、自分の身に起こっていなくても、自分ごとのように感じてしまい、精神的に疲れることを、共感疲労といいます。ここ1週間ほど、私も、よく眠れなかったり、あまり食欲がわかなかったり、亡くなってしまった患者さんが夢に出てきたりと、そういうことが続き、あぁ、精神的に疲れているのだなと自覚しました。
震災直後、遠方に住んでいる人たちが直接出来る支援は、とても少ないことを思い知らされます。
現場は寒かろうにと、電気もつかず怖い思いをしているだろうにと、食事が行きわたらず辛かろうにと、考えを巡らせれば巡らせるほどに、辛さだけが増していきます。
そして、何か出来ないかと、ニュースで同じ映像をただ、繰り返し見てしまいます。そして、何もできない無力感に苛まれ、また、心が落ち込みます。
そういう現状を客観視して、あぁ、今、心が辛いんだなと、自覚しました。自覚して、私がこんなふうに思うということは、今、在宅療養している患者さん達は、なお、被災したらどうしようという不安でいっぱいであろうとも思いました。
今すぐに、現場に行くことは出来ません。
だけど、自衛隊やDMAT、DPATの皆さんが、次々と出発していっている情報は入ります。
今、私に出来ることは、被災地に向かって下さっている方々がこの地で診療するはずだった穴を埋めること、在宅療養している患者さんたちの不安に寄り添うこと、そしてもう一度、医療が必要な方々が何かあった時の最善策をこうじておけるよう、準備を進めることだと思います。
現場に行くことだけが支援ではない。
今できることを精一杯することも、後方支援であるということ。
反して、報道は、ありがたい。
情報がないという不安は、大きな恐怖を生みます。
情報シャワーを浴び続けることで心がすり減るのは事実ですが、こういう災害の際、一刻も早く、事実を正確に伝える側の人というのは、それこそ神経のすり減る思いなのだろうとも感じます。
東日本大震災の際、「亡くなった方々の数が報道される時、○○人とくくられてしまうのが切ない。」と、そう話してくれた記者の友人の言葉を思い出します。
「"死者何百人・何千人・何万人"とくくられてしまううちの一人一人にも確かに命があって、暮らしがあって、それぞれが違う一人一人だったはずなのに、最期の時を、死者〇〇人としてくくられてしまうのが無常すぎる。
それぞれが誰かにとっての大切な人だったはずで、まだ生きたかった死ぬはずのなかった○○人だったはずで。死者○○人ではなくて、亡くなってしまったAさん、Bさん、Cさん、、、だから。」と。
様々な記者がいる中で、1人でも、こんな考えをもった人が記事を書いてくれている、その事実に、今、時を経て救われる思いがしています。
ある人にとっては辛い日々ですが、またある人にとっては、最良の誕生日や記念日になる方もいるのでしょう。自分は被災しなかった。誕生日を迎えられた。記念日を迎えられた。子供が無事に産まれた。成人の日を迎えた。何か良いことがあった。混迷の中にあっても、そんな日には、ちゃんと、喜んでいいんだということを、忘れないでほしいと願います。どんな非常事態に遭っても、喜ばしいことは喜んだっていいんだってこと、笑ったっていいんだってことを、制限してしまうと、心の回復に、時間がかかるという記事を、東日本大震災の時に多く目にしました。
今暗闇にいる人も、そんな日に向かってこれからも共に生きていく中で、いつか、亡くなってしまったAさん、Bさん、Cさん、、、一人一人が居たという事実が、どこかで必ず後押しになる。そういう日が、絶対にくる。避難することが出来た全員が、無事にご飯を食べられますように。少しでも暖をとれますように。飛行機事故後のすべての空港スタッフの皆さまが、一秒でも長く、ぐっすりと眠ることが出来ますように。
心が苦しい人は、ただ、今日も一日、生きられたこと、それだけで、大丈夫。大丈夫。