言語習得の指標
とある国の言語を学びたいとき
一番良い手法として
その国の人と恋に落ち
お付き合いすれば良いという話を
聞いたことはありませんか?
私は真実ではあるけれども
難しいことだと思います。
恋愛成就は自分の国でも
難しいですからね。
私には忘れられない英語の言葉があります。
その言葉は誠にシンプルでした。
Today ,I come here
to say I love you.
というものです。
安心してください。
自慢ではありません。
私の見た目が大変美しい友人が、
大学生の頃、彼女の大学のロシア語の講師に誘われて大阪南港でちょっくらデートを楽しんだ後、聞いてきた言葉です。
私はそれを彼女から聞いただけで
この言葉は全く私とは関係ありません。
美しい彼女にとってこのようなことは日常茶飯事でしたので
今頃きっと忘れていることでしょう。
たくさんの男達が彼女に愛を囁きましたし、彼女はたくさんその様子を私に話して聞かせました。
しかし、どうしてこのフレーズだけを私が今でも覚えているのかさっぱりわかりません。
ちなみにロシア語の講師は撃沈しました。会ったことすらありませんが、断言します。彼に悪いところは1つもありません。
なぜなら、その当時彼女が心から愛していたのはヘモグロビンだったからです。
私は当時ヘモグロビンの可愛さを彼女から毎日聞かされていました。
彼女は何度も同じ写真を私に見せてきては
「どうこのプニプニした感じ。むっちゃかわいい🩷。触ってみたいわぁ!」
というのを繰り返すのです。
見た目は美しいですが、明らかに変人でした。
こんな話、古典にありましたね。とにかくそんな風でした。
なんのはなしでしたか?
そうそう
Today ,I come here
to say I love you.
この言葉を興味深く聞いたときの
私の感想は次のようなものでした。
「わりかしシンプルだな。」
私は英語はそれほど得意ではありませんから、自分がいつかその言葉を聞くことがあってもこれなら私にもわかると非常に安心したのです。
それなのにその安心は、まだ活かされる気配はありません。これはいったいどういうことでしょう?
なんのはなしでしたっけ?
そうそう、愛の告白というものには
あまり言葉を必要としないのではないかということです。
多分、彼女をみる目つき、買ったチケットを手渡すその仕草、声の震えそんな言語外のものが1番雄弁に彼女への想いを語っているはずです。
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少し別の話題に変えます。
今度は私の経験です。
関西で生まれ育った私は
とある中部地方の大学に進学し、
その地方の言語にすっかり染まり
(例えば語尾に「じゃん」をつけたり、「めっちゃ」のことを「でら」と言ったり、ギア付き自転車のことをケッタマシンというようにです。)
毎日楽しく暮らしていました。
喧嘩なんてしませんでした。
そしてとある
中部地方の会社に勤めはじめたときのことです。
この会社でとても理不尽な人物と遭遇したのです。
その人物は私か、あるいはいてももう1人くらいしかいない設計室にしょっちゅう現れては、次々に信じられない納期の用事を言いつけ、進捗具合にイラつき怒鳴り散らすんです。
CADというものがまだ珍しい時期でしたので私しかやる人がいません。
私もその会社に行ってから勉強して覚えたてです。小さな会社でしたので研修に行かせてもらったわけでもありません。
その人物からCADで図面を納品できるようにしろと本一冊渡されただけです。独学です。
私は自分で言うのもなんですが、とても我慢強い人間です。我慢強すぎて、文句を一切言わないところが逆に誰よりも恐ろしかったと数年前にその会社の常務だった人に聞かされたほどです。
でもその時私は完全に頭にきてました。
「そんなに文句言うならお前がやれや!それかCAD使ってみろや!お前がやらんでもええわ。せめてお前が決めてくる納期の馬鹿さ加減をわかれや!!」
と頭の中でおよそ
社会人とも思えぬ関西弁が毎日鳴り響いていました。
そしてある日その思いは爆発してしまいました。
また怒鳴りながら設計室に入ってきたその人物に向かって私はついに
怒鳴り返してしまったんです。
出てきた言葉はこうです。
「あっちに行って下さい!この部屋に入ってこないで下さい!!」
誠にシンプルな言葉です。
お気づきですか?
私はすっかり中部地方の言語に染まった気でいましたが、
「中部地方の社会人の喧嘩言葉」
をまるで持ち合わせていなかったのです。
なんて幼稚な言葉でしょう。言葉で表しきれない感情は、かわりに私の身体をガタガタ振動させ、涙を溢れ出させ、それでも私はまだ歯を食いしばっていました。
それからしばらく普段はやかましい会社がシンと静まり返りました。(小さな会社ですのでワンフロアです。)
しかし
「社会人の喧嘩言葉」
というものはいったいこの世に存在するのでしょうか?
私には上記のような経験がありますが、会社で理不尽な思いをされている人は世の中に多いと思います。
相手を前にして喧嘩出来ないで困っている人は案外たくさんいるのではないでしょうか?
あれから何年も経っています。
あの時私はどうすれば良かったのか?私は何度も考えることがあります。
怒りの正体はたいていの場合、わかってもらえない苦しみや、かなしみ、さみしさだったりします。
怒りをぶつけると怒りが返ってきます。
でも「苦しいよ」「かなしいよ」「さみしいんです」という言葉に怒りで返す人は少ないと思います。
勝手に堪えきれなくなるまで我慢したりないで、早い段階でそうすれば良かったのかなと今の私は思います。
しかし、それでも怒りが返ってきた場合、今の私は容赦はしません。
例えそれがその場に相応しくない
子供っぽい言葉であろうと
関西弁であろうと
私は全身の力を振り絞って
相手を切りつけようと思います。
「それ以上はやめろ!絶対許さない!!私、何するかわからないからね!!」
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なんのはなしでしたっけ?
そうそう言語習得の指標ですね。
喜怒哀楽全部を
その言語で表現できたら
その言語を習得しきった
ということになるのではないでしょうか?
残念ながら私は
母国語である日本語を
いまだに習得できてないようです。
でもこれは
まだまだ勉強できるという
楽しみでもあります。
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ある国の言語を学びたいとき
一番良い手法として
その国の人と恋に落ち
お付き合いすれば良い
というのは
恋愛には喜怒哀楽が
全部ギュッとつまっているからなのでしょうね🩷
なんのはなしですか
(補足)記憶力が心配になり先程ヘモグロビンの画像を検索したところ、彼女が愛したのはヘモグロビンではなく赤血球だったということが判明しました。ここに訂正してお詫びします。今後気をつけたいと思っておりますが、私の記憶はまことにあやふやで、このようなことがたくさんあると思います。先に謝っておきます。ごめんなさい。