ゆらゆらミルコ
子供除け。1回だけで全部よめます。
いただきものの仏像図録を眺めていたら、一体全体どうなっているのだと目を引く仏像があった。 宝誌和尚立像。 「銀杏の殻をを割ったみたいにして中から顔が出てきている」とよく表現されているようだ。 京都の西往寺のもので今は京都国立博物館にあるらしい。 簡単に由来となるエピソードも調べた。 エピソードとは別に、誰の中にも仏性があるということも表現しているということも知った。 この像の中から現れている顔は、11面観音なんだそうだ。オデコのところに11面のうち正面にあたる小さな観音
万が一明治維新が失敗した時に、平和理に幕藩体制に戻るための仕掛けが用意されていたことを知るものは少なく、令和の世になってその伝説はようやく我々の知るところになった。 山奥深くにある巨石に突き刺さった草履。この草履に足を入れて、石から草履を引き抜く者が現れた時、幕藩体制が再び稼働すると噂されている。 侍時のはじまる草履。 令和6年秋、相次ぐ増税に、度重なる政治家の不祥事、米不足など、疲弊と憤懣の渦巻く現状を真剣に憂いて、自然発生的に日本のあちこちでこの草履の捜索が始まった。 そ
あら? これはなんだろう? というときがある。 とても気になるのだけれど それが何か確定したところで 何もすることがなさそうなとき わからないままで とっておくとよい時がある。 わかるもの以外に どうもなにか含まれているぞ と感じることもある。 わかるものだけ 受け取ればよい。 どうも面白い気分になりそうもないというとき わからないものがなにかなんて 探らなくてもよい。 もちろん探ってもいいけれど。 わかってると思っているものも まるでわかっていないのだから
私にとって心躍るようなものとの出逢いはいつもたいてい印象的だ。 その瞬間から恋に落ちたようにしばらく似たようなものを探し続けたりする。 ところがこれとは反対に、じんわりいいなと感じるものというのは、気がついた時には小さくハッとするのだが、すぐさま胸の小箱にしまいこまれ、なにがどう良かったのが自分でもしばらくよくわからないでいる。 私がいいなと感じるものはとても目立たないものが多いのだ。 ぱっとみて主張がないようにみえるようなものがとても美しいように感じる。 例えばヘ
銀盌盛雪こっそり書道ブームで 書いてみたい禅語なのだけど 絵も描きたいとおもうと 手付かずのままである。 銀椀裡(ぎんわんり)に雪を盛る 銀の椀に雪を盛る。 銀の椀に雪を盛れば、陽の光を受けて溶けてしまった雪は、銀の椀とは全く別物なのに、どこからが雪かどこからが銀か見分けがつかない。 なんともいえない味わいがある。 実のところ私はあんまり意味はわかってない。 しかしひとつ思い当たるのが、 人から繰り返される建前のようなただの気慰めのような言葉の中に、突然誠の心を感じ
「なんだこれは(笑)?」 先日夫と古い書類をあさっていたら お日さまDVDなるものが発掘された。 書類のファイルの中に隠されしDVD。なんのDVDだか全く覚えがない。 子ども達が興味を持って、リビングで鑑賞することになる。 「なんだこのDVD(笑)」子ども達(中3と小5)は大喜び。 それは絵本のDVDだった。 私も思い出した。 長男が幼稚園に上がる前あたりは、私はなるべくテレビを見ないで絵本や想像の世界を育みたいと考えていたのだ。 それでも一方で、幼児の食いつき
印象的なシーンが多かったけれど 3つの「引退」が重なっていたので そこに注視したい。 3つの「引退」の一つ目はまひろの父の出家宣言。在家なので特に生活は変わらないが、まひろも充分自立し、賢子も成人したので、なんの心配もなくなった。家のリーダーの地位を降りるということだ。 活躍の場がないということをわりとあっさり認めていて、嬉しくもありさみしくもあるけれど、幸せな引退宣言のように思えた。 二つ目は三条天皇。持病で政事が困難ではあったが、まだできることがあると在位しようとした
無縄自縛 縄もないのに、みずからわが身をしばること。迷者は迷いに、悟者はさとりにとらわれて、自由になることのできない状態をいう。 自縄自縛 自分の発言などで自分を縛る。 「縛る」といえば どちらかというと 不都合なイメージがあるけれど 何も悪いことばかりではない 目的があれば その効果をわかった上で 当面自分が乗ってもよいかという 舟に自らを縛ることもできる。 しかし、いったん進む先が 異なると見極めれば 即座に自分を自分で縛った 縄をほどけることを知って おきたい。
[雷]電気を帯びた雲と雲との間、あるいは雲と地表との間に起こる放電現象。 これは私のイメージだが、電位差という緊張状態が整うと、あとはなんらかのきっかけでもって雷が発生する。 その一瞬の放電の方向は、予想できない方向性を持ち、光の道を一瞬だけ私達に見せつける。 悩みであるとか、考え事、人と人との関係性などでも、煮詰まって場が整うと、些細なことをきっかけに、思いもよらぬ方法で一気に解決の方向に運ぶことがある気がする。 電位差が自然に解消することもあるけれど、どうしても解
寝言に返事をしてはいけない それでもときどき 起こしたい気もする うなされてるからなのか 寝言を聞いたことで ひとりで起きてる ことが気になるからなのか よくわからないけど さてどうするか じっと様子を伺う おおよしよし 規則正しい寝息が聞こえてきた また深く眠ったようだ さて私はこの後どうしたものか そうか これもまた夢か そういえば誰かが 私の様子を伺っている 気もする うん なんか安心 いい気分🫧 まだ 起こさないでね 春になったら一緒に起き
今年手に入れたオモチャの中で ダントツ1位を誇るものを 紹介したい。 それはフライングタイガーの 「寝たままメガネ」あまりに楽しくて あまりに必要なものがなさすぎる フライングタイガーで なにかわからないけど なにか買わなくちゃと 使命を感じて選んだ この商品。 素晴らしすぎます✨!約束します。 これをかけるだけで 日常が非日常に変わります。 寝たまま本を読むのではなく、 起きたまま使用することをおすすめします。 写真をみておわかりになるように このメガネをかける
典型的おでんの絵🍢が案山子ににてるとおもう。ちょっと描いてみたよ!今日は筆ペンです♪絵も字もレベルはあいかわらずこんなもんです。でも楽しいの😇 百均で写真用に黒ボール紙を買いました!適当に並べるだけで糊を使わずに遊べそうです♪😊こんにゃくの点々が反映されなくてちょっとザンネン
共振ブランコの動画みてた。 構造はシンプル。 普通のブランコに 横棒一本ぶら下げて その棒にブランコ吊り下げる感じ。 この横棒を人間の関係性に 紐の長さを感性に 置き換えて動画をみると面白い。 同じ紐の長さのブランコ2つの場合 一方が揺れ始めると もう片方も徐々に揺れ始め 一方が揺れるのを止めるとき もう一方が最大に揺れている。 このエネルギーは2人の間を行ったり来たりしている。 1人がやる気で頑張っていると もう1人が「なにそれ?」 って真似し始めて はじめの1人
気に入りの言葉があったので なんとはなしに そのイメージで絵を描いた まぁまぁ再現できたように 思ったがやはり 絵だけではなんの話かわからない そこで言葉も添えることにした 私は書道はからきしだ でも別にいいかぁ まぁまぁな絵なので まぁまぁな字を書けば良いのだ 久しぶりに墨をすって 字を書いてみる すこし前に、自分で書いた墨の記事に自分で影響を受けているようで、なんだか変な気分だ。 あれ? あれれ? なんか字を書くのが楽しい! 楽しい上に上手くなってる! 気の
読んでる本の女性遍歴を懐古する おじいさんの話。 ちょっと納得したところがある。 訛りを少なくすると だいたいこんな感じ。 ↓ 嘘のない優しさがあると 例え男女のような関係がなくても くすぐったいような いい記憶だけが いつまでたっても残っているのは 本当だと思う。 寅さんってきっと そんな感じで 好かれるんだろうな♪
❶気の済むまでやりたいようにやったら落ち着くんだな。 隆家は兄が死ぬほど嫌がって抵抗した太宰府に眼を直すためと言って自ら志願して行くことになった。自分も原因だった兄のごたごたの尻拭いもずいぶんやったなと満足したのかなと思った。 ききょうは、「こんなの間違ってる!」といううらみをすてて、隆家を太宰府に送り出した。憑き物が落ちたみたいにさっぱりとして拍子抜けしたくらいだ。バーニングアウトで抜けでたんだろうな。 倫子は道長の寵愛を明子と競争するかのように生きていた。しかしどう