ミドル・オブ・ザ・ロード/ザ・プリテンダーズ Middle Of The Road / The Pretenders
音響系の専門学校を無事卒業した。
2年間ちゃんと毎日通学して単位をとって卒業したのだから我ながら大したものだ。
褒めてあげたい。
アパートから駅まで歩いて20分もかかったし、雨の日もあれば灼熱の太陽が照り付ける日もあった。
よくぞまあ。
卒業間近になって仲間たちはみんな就職活動をしていた。
T橋君などは大きなビデオ編集会社に就職が決まり、就職担当の先生方は大喜びしていた。
俺は何だか確かな理由はないのだけど、何となくそういう決められたルールに従って就職するのがなんだかイヤだった。
人生のことなんかまだ考えたこともなく、自分に根拠のない自信を持っていたから仕事は何でも大丈夫だと思っていた。
「俺君は就職どうすんの?成績も悪くないから良い会社に入れるんじゃない?」と聞かれたりしたが、
「うん、ちょっと考えるところがあってね」なんて言ってた。
別に深く考えていたわけでもないけど、バンドもやりたかったし(プロになりたかったわけではない)、まだまだいろんな可能性があると思っていたから、自分の将来を一つの道に決めてしまうのが嫌だったのかな。
3月の末にたまたま求人雑誌で見つけたワッペン会社の面接を受けてみることにした。
専門学校で学んだ音響に関する知識のカケラも必要ない業種だ。
面接を受けたら女社長に気に入られたようで、俺の顔をジーッと見ていた社長は「よし、俺君には手取りで18万円」といきなり金額を叫び、採用が決まった。
ええええええええええ?
何だこの面接?
と思ったが、まあとりあえず仕事は決まったので一安心。
手取りで18万円といえば当時大卒の同級生たちの初任給と同じぐらいだった。
U村さんは「すごいじゃない、私の知り合いの中でも高給取りよ」
と嬉しい事をいうのでいろいろご馳走してあげた。
おだてられただけだったのかな。
両親に報告したら、
母親は「一生懸命働いて高い授業料を払ったのに」と泣き崩れ、嘆き悲しんだが、父親は「まあお前らしいかもな。頑張れよ」と言ってくれた。
会社の裏の倉庫に膨大な種類と数のワッペンの在庫があり、注文のあったワッペンを探し出してきて、ビニール袋に詰めて袋の上部に紙製のタグを付けホッチキスで止めて出荷するという、とてつもなく単純な作業だった。
こんなもの誰が買うんだろうと思ったが、日本全国のジーンズショップなどに需要があるようで、毎日大量に発送していた。
ある日社長がワッペンの製作業者さんと打ち合わせていて
社長「あられちゃん(Dr.スランプ)のワッペンは売れたけど権利料が高くてあんまり儲からなかったから誰も権利を持ってない物で儲けた方がいいわ。これから流行りそうなワッペンは何?」
業者「今CMなんかもやってますけどエリマキトカゲが流行ってます」
社長「よし、誰かが権利を取得する前に(笑)エリマキトカゲのワッペン作ろう!」
業者「わかりました!」
その結果、大量のエリマキトカゲのワッペンが返品され、倉庫にうず高く積まれることになった。
ただ、仕事の内容に対して給料は悪くはなかった。
ド楽ちん。
昼休みには会社の駐車場に段ボールを敷いて寝転んでウォークマンで音楽を聴いた。
当時はレコードを買うお金が惜しくて昼食は抜いていた。
身長は178センチで体重は58キロだった。
常に腹は減っていたけど若者特有の訳のわからない高揚感で気持ちは晴れ晴れとしていた。
寝転んで見る空はどこまでも青く高かった。
営業から戻った○○さん(名前は忘れてしまった10歳ぐらい年上)が
「俺君いつもここに寝転んで音楽聴いてるね?何聴いてるの?」
「A面がプリテンダーズでB面がスミスです」
「ああ、プリテンダーズはわかるけど、スミス?えらく渋いの聴いてるね」
「え、そうですかね?」
みたいなやりとりがあってなんか噛み合ってないなと思ってたけど、何年かのちにアメリカにスミスというザ・バンド周辺?の「ザ」が付かない別グループが存在していたことを知る。
何だそういうことだったのか。
まあまあ儲かっていた会社のようだったが、入社して2か月経った頃、社長が「これからはコンビニだ!」と突然言い出して何屋だかわからなくなってきた。
社長のワンマン会社はこれがあるからな。
夜も出勤しなければならないのか?
レジとかやるの?
それはないな。
その上残業で帰りが一定じゃなかったのと上司がネチネチ小言を言うヤツだったので3ヶ月で辞めた(笑)
「おまえは・・・」
母親はまたしても泣き崩れ、嘆き悲しんだ。
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