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#2-4 個人のプライバシーへの配慮/コンテンツとリフレクションの比率 【MAWARUリフレクション:上條先生#4】
みなさんこんにちは。MAWARUリフレクション事務局です。
今回は、10月1日(土)に開催した、「リフレクションを対話的に再構成する~研究者と実践者でリフレクションを紡ぎなおす~」シリーズの第2回目イベントの様子を、引き続きお伝えします。
PartⅡからPartⅣは、参加者から寄せられた質問や実践の問題意識に対する上條先生のご回答や、参加者と講師のディスカッションの様子をお届けしていきます。この記事はPartⅣになります。なお、本シリーズはPodcastでも配信しています。
架空事例よりもリフレクティブな学びを
生井:私は後半の、大学の授業におけるリフレクションの工夫のところを読ませていただき、2つお伺いしたいことがあります。
1つ目は理論と実践の往還というところで、理論から実践の方向性は手ごわいと上條先生がおっしゃっていた通りなのですが、理論を実践に活かしていくために、エピソードを絡めて学生自身が語るということがすごく有効とご紹介されていました。私は授業によっては、学生個人がエピソードや体験を語る機会を織り交ぜたワークなどに手ごたえも感じている一方で、家族心理学といった授業を担当する中では、家族というのがとてもセンシティブな話題であると感じて、授業の中でワークや対話を織り交ぜる時にどうしても慎重になってしまいます。自分の家族という、個人情報のような話を語り合うことが負担になってはいけないと思うし、家族について説明する時にも、たとえ話や架空事例などを使って説明して、実際の家族には触れないことも多いです。けれど、学生自身の家族を見つめなおすということも、本当はできたらいいなと思っていて、リフレクションを取り入れる工夫ができることもありそうだと感じています。例えば架空事例について話し合うとか、そういうこともできるのかなと思ったりもするのですが。テーマや領域に応じた学び方、みたいなことで、何か事例やお話があれば、お伺いしたいです。
上條:MBA、経営修士号があるじゃないですか。事例研究法というのをやるらしいのですが、それはあまり効果がないということを書いている人がいます。ミンツバーグ(※1)が、架空事例での意思決定、意思判断みたいなのはダメだという風に書いていて、どうするのかといえば、やはりリフレクティブにやるんだという話なんですね。僕の界隈でも事例検討法みたいなのがあって、僕はお芝居とか架空のものが好きなので、いいなと思ったのですが、そうじゃなく、やはりリフレクティブなものが刺さるのだなと思ったのですね。
※1 H.ミンツバーグ:カナダの経営学者で、欧米ではP.ドラッガーと比肩する「マネジメントの権威」と称される。経営者に随行し、日常の実態について観察研究を行ったことで、マネジメント論に大きなインパクトを与える。
個人のプライバシーへの配慮
上條:どこまでパーソナルなものを開示するかということに関しては、開示の度合いを学生に選んでもらうことだなという風に思っています。個別の場なので、どういう可能性があるかについて私がデザインできないのですが、架空事例を持ち込むことよりも、リフレクティブな学びの場の方がいいんじゃないのかというのが、今私が立っている場所です。だけどそうすると、パーソナルなもの、プライベートなものが露出してくるという臨床系の難しいところにぶち当たる。そこに関して私の考えている範囲で言うと、学生に選んでもらう、今言える範囲で言ってもらうということです。昨日大学の授業で音読のペアワークをやったのですが、70人くらいいる中、うまくいった人に手をあげてもらって、今みんなの前でやってくださいと言いました。誰かやってもらえる学生いませんかって言った時に、やってもいい人が出てくるまで2分くらいかかった。ペアの2人で相談して、いいよって言った人に教室全体で拍手をして、チャレンジしてもらって、チャレンジに対してみんなで拍手して。これは選んでもらってやっているので、みんなで賞賛しようという風に言って。ちょっとずつ、半歩ずつ出る。ただプライバシーに関することでは、迂闊にはやはり言えないと思うので、その場での高度な判断をやっていかなければいけないことだろうという風には思います。そこは難しいですね。
生井:確かにプライバシーの問題というのが一番難しいところで、例えば全員がペアワークとかグループワークで自分の家族について話しましょうとなると、やはり話したくない学生も何か話さなくてはならないというプレッシャーになるのが悩ましいところです。でも、今上條先生のおっしゃってくださった、学生自身が話す話さないを選んだ上で、話さない選択肢もあるし、話す選択肢もあるという、そういう状況を作る工夫は出来ればいいなと思いました。やはり、できるだけリフレクティブな学びを取り入れると、学生も深めるきっかけになると思うので、工夫できる余地がありそうだなと感じました。
上條:そこは時間がかかりますよね。昨日ブラウジングという、運命の本と出会ったきっかけについて語るということをやった時に、一番手の経験を語らずに、十番手くらいの経験を語った学生がいました。一番手の経験は別の話で出てくるので、それを語ったらいいのにと思ったのですが、語らない事情があったんじゃないかなと。なんか内臓を食べるというようなタイトルの本にすごくはまって、あまり本を読まないけれど、それを読んで感動したという。でもその本と出合った経緯は、結局学生は話さずじまいでしたね。これ、彼女は多分プライベートに触れると思ったのかもしれないですね。だから別の事例を持ち出して、語ってくれたんだと思う。もうちょっと時間がかかるか、言えないか、なのかなと思いましたね。
中島:では、次の質問に行きますか。
生井:はい、お願いします。
コンテンツとリフレクションの比率
生井:実践的な学校づくりのところで、コンテンツ提供とリフレクション促進の比率はだいたい50%くらいが限界じゃないかと書かれていたところを拝見しました。それは、あらゆる学びに共通する黄金比みたいなものなのか、それとも、先ほどこれまでの研修と新しいリフレクティブな形の両方が必要っていう風におっしゃっていたような、どの領域でも両方大事というような50%みたいなものなのか、やはりこの領域だとちょっと教える内容を多めにする、あるいはリフレクティブ、体験をベースに作り上げていく授業を多めにするということなのか、参考にしたいなと思い質問させていただきました。
上條:学校教育の場合には、日本で仕事をする限り、学習指導要領がどう言っているかという制約があるんですよね。さっきAさんがおっしゃったのは、アクティブラーニングみたいなものを文科省がすごい勢いで推奨しながら、基礎基本も教えてねとも言っていることですね。このバランスを、もっとアクティブラーニング側に寄せている国もあるし、日本だと両方やってねという言い方をするんですよ。この、両方やってねというのを破ると、教育公務員として怒られるんです。大学としても、文科省等々の指導により、コンテンツを教えるというのと、教員としての教育的信念に従いながら、こういう風にしたらもっと学生たちの色々なものを育てるだろうというのを考え合わせて設計すると、50:50くらいがギリギリ。本当はもっと沢山教えたほうが、色々な人たちに対していいのかもしれないですが。今は小学校でも、私立小学校に出ていく動きだとかが出てきていますけれども、それはもう50:50の比率を壊してでもやるということです。例えば、高校生物について10分間だけ教えて、あとはリフレクション、カンファレンスに回す、みたいなことをやろうとすると、もう公教育では無理なので、私立を立ち上げてやるしかないという話が、この50の話です。
生井:ありがとうございます。公教育の中では半々がギリギリというのは、非常に納得だなと思いました。一方で私立学校では色々実験的な試みが始まっているという話も耳にするのですが、こういう授業の形に囚われないで、探究の中で学習をするという学び方にもとても興味を持っています。そういった学びの行きつく先として、学力的には遜色ないというような話も聞きますし、今後もっと学んでいきたいと考えています。公教育、あるいは私立の教育という縛りの違いに影響を受けるのはなるほどと思いました。ありがとうございます。
中島:感想なんですが、リフレクション50%は多いなと思って、個人的にはそのくらいがいいなと思うんですけれど、実際に起きているのはどれくらいなんでしょうか。10%とか20%くらいしか実践されていないような気がします。
上條:例えば、小学校で45分の授業の時に、5分間のリフレクションで振り返ってもらう時間を取るということについて、私は前に、「そんな時間があったら教えてます」と言われたことがあるんですね。すごい昔ですけれども。私自身も最初の頃、5分間くらいを確保しようとしたんですね。でも、それ以上拡張しようとすると、本当に教えることと、学ぶことのバランスを自分の中で本気で考えた上で、むしろ教えることを圧縮しないとならないです。例えば自由進度学習ということが言われてまして、割と評判がいいんですけれど、要するに自己調整学習ですね。これは10分で教える、と言ってしまうんですよ。言い放つわけです。やろうと思う人はそうやったうえで、個別の学習に入ってもらうという仕掛けを作っていく。そこに踏み出すのはまさに前人未到なので、日々リフレクションをかけていかなければ難しいだろうなと思います。それはもう、教科の範囲内では50:50を逸脱している可能性があるんですよね。
中島:なるほど、ありがとうございました。
まとめ
以上、PartⅣの記事をお届けしました。私たちの日々の実践の中では、様々な制約や配慮が必要な事柄に囲まれていますが、その中でも学生にとっての学びの意味を考え続けること、教員自身がリフレクティブであることが、前人未到の教育実践に開かれていく鍵になるのではないか?ということが、改めて見えてきたように思います。
当日は、この後にフリートークも行いましたが、その時にはリフレクションをテーマにしている本イベント自体が、リフレクティブな学びの場となっているだろうか?という、まさにリフレクティブな問いが生じました。次回からは、ますますグレードアップしたイベントをお届けしていきたいと思います!
上條先生のイベント記事は、本記事で最後となります。イベントにご参加の皆様、ゲストにお越しいただいた上條先生、この度は誠にありがとうございました。
次回の第3回イベントでは、帝京大学教職大学院の町支大祐先生にお話しいただきます。今後のイベント記事についても、ぜひお読みいただければ幸いです。お楽しみに!
【上條先生イベントの記事】
#2 -1 リフレクティブな学びの場づくりを目指して
#2 -2 質疑応答とディスカッション(1)
#2 -3 質疑応答とディスカッション(2)
#2 -4 質疑応答とディスカッション(3)(本記事)
MAWARUリフレクションメンバー
(執筆:生井)