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「私は平凡な人間です」と言ってみよう。貴重な人生を浪費しないために。

おはようございます!

今日はこちらの本です。一言でいうと、とても面白かったです。

★400万部突破!!
★アマゾンUS年間売上 第1位!
★話題のハードボイルド自己啓発書!

などなどと書いてあり、最初物言いがバサバサしていて「おお、ハードボイルドだなー」と思っていましたが、

だんだんと後半になるにつれて、淡々ととってもまともなことや、ハッとするような気づきを得られることを言っています。

その中でも面白かったところについて、ぜひご紹介させてください。


歓迎すべき「凡庸さ」


本では、今の私たちの生活は

人間が体験する物事のベルカーブ(正規分布図)のもっとも極端な小数部分からの情報でいっぱいだ

と語ります。

SNSで注目を得ることがお金を得ることに直結しており、

非凡な小数の人、出来事がハイライトされてみんなの目に届く。

確かに、非日常、ラグジュアリー、美人、キラキライメージばかりが、インスタのストーリーや投稿ではあふれていますよね。

しかし、事実として、大多数の人は相変わらず平凡な生活をしている。


インスタを見たあと、私は実際にため息をつくことが多いです。

「ああ・・私の人生って大したことないな、なんでだろ?」と。


平凡な人が、

例外値が正常値だ


と信じてしまい、多くの平凡な、平均的な人間は、

そのせいで(私のように)不安定になったり、

絶望的な気持ちになっている。

また、SNSの世界のように、「自分は特別だ」と思い込みたい人々は、

「特別」でありたくてたまらない。


一方で、「本当に優秀な人々」の考え方はどうか?

著者は、それについて「自分は例外的な存在だ」と思っているのではない、

むしろ、「自分は、実のところ大したことがない」という反・特権意識を持つことで、

謙虚に上達を目指せる、と言っています。


おれってすごく特別!と思う人よりも


凡庸であり、謙虚である方が、上達へのこだわりを持ち「本当に秀でている」人になれる可能性がある。


要は、私も、大多数の方も


・ベルカーブのはしっこの存在ではない「平凡な人」
・「自分は特別」と思う必要はなく、むしろ「自分は、実のところ大したことない」と思う方が良い

ということのようです。

(確かに、本当の富裕層やスポーツなどで超越した人は、恐ろしく謙虚ですよね。)

俺はすごいと虚勢を張る人ほど、口だけで自信も実績もない、というのはよくあることです。

あなたの人生は注目に値しない、それでもいい


現代社会における苦しみは「非凡であれ」「特別であれ」というプレッシャーからきている、というのは面白い話です。

私も、その絶望感に苦しむ1人です。

あなたの行動はたいして重要ではなく、人生は注目にも値せず、でも平凡でいいんだよ


とこの本では何度も説いています。

わたしは、この言葉にとても癒されました。


「いいんだよ凡庸で」

「凡庸のほうががんばれるでしょ」


アメリカの文化的には、子供に

「あなたは平凡よ」

なんて口が裂けても言えないと思いますが、

これは真実だと思います。

「特別」ではないから頑張れるし、努力ができる。

「自分は特別」だと思うと、「口だけ」の人もなり得ます。

自分がどう選ぶかの問題


最近「エッセンシャル思考」の習慣・実践術の本を出版しました。

こちらの本を書いているあいだ、ずっと「選択すること」について考えていました。

エッセンシャル思考の肝は、「自分で選択して、他を捨てる」という考え方なのですが、

こちらの「その『決断』がすべてを解決する」では、


僕らはみんな、人生のすべてのことにー外的な環境がどうあろうとー責任を負うということだ


と説明しています。エッセンシャル思考と違うのは、「それがどんなものでも(例えば、家族の死など不運なことでも)選ぶのは自分だ」ということ。

起きた外的な出来事について、どんな反応をするのか選んでいるのは自分。


著者は、「自分の人生には、自分が100%責任がある」と思うことで、問題は解決する、と述べています。

環境のせいにしたり、人のせいにしているうちは、苦しみは消えない、と。


どのク〇を引き受けるかの問題


原典は「S〇IT」なのでしょうか(笑)

ここまでくると、すべては自分のせいで、楽な人生というのは基本ありえないし、苦難の中に喜びがあるものなので、

結局人生は「どのクソ」を引き受けるかの問題である。

と、とてもシンプルな結論を出しています。

この考え方、面白いですよね。

それは「なるべくましなクソ」であったほうがいいし、

選択するのはあくまで自分です。

状況がどうあれ、良い価値観を選択した方がうまくいくし、

快楽やお金が答えでもない。

仏陀も言っていますが、苦や執着は、人生から消えないのです。

それならば、よりましなものを自分で選ぼう、と。


凡庸でいいんです


SNS以前でしたが、

私も学生のころは「凡庸になりたくない」一心で勉強を頑張ることができました。

でも、結局いまアラフォーになり

なんて自分って平凡なんだろうな

と思います。

それでいいのだと思います。

「非凡であろうとすること」と「非凡であれ」というプレッシャーを気にすることは別のことです。

自分のことを平凡だと思うからこそ、頑張れるのだと思います。

また、「苦難(クソ)」から逃げようとするのではなく、

どの苦難を受け入れるのか?という考え方は有益だと思います。

なぜならば、人生を自分の責任で生きる、という覚悟が決まるからです。

辛いことが起こったら人のせいにしたり、運命のせいにしたりする、というのは、安易な方法ではあっても、最終的に自分は幸せになりません。


「私は本当に平凡な人間です」


と100回くらい言ってみましょう。きっと気持ちがスーッと楽になるはずです。

そこから「平凡はいやだ!」と奮起できるのであれば、それも良いかもしれませんよね。

そして、どの少しでもましなクソを引き受けるか、考えてみましょう。


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