
(読書)選挙こそSNSでやってほしいなぁ〜 の話
おはようございます。
今、都知事選の話で盛り上がっていますが、以前選挙には行かなければ!と、ワーママもアラフォーになりようやく社会の義務感を感じており、忙しいワーママの貴重な休暇の「極限まで限られた隙(病院と子供の習い事の事務手続きの間)」を狙って、しっかり選挙に行ってきたというお話です。
不思議すぎる日本の選挙制度
私は基本的に都心(平日)と田舎(週末)との二拠点生活なので、週末に近くの小学校やら、公民館に行くことは基本的に不可能ですので、デフォルトが期日前投票です。
ワーママや専業主婦だったら、そもそも週末選挙に行くことは不可能な気がします。
その比較的最近経験した、マーベラスな体験があまりに衝撃的だったことについて、ただのいちワーママの感想を述べたいと思います。
そもそも、投票所のスタッフ人数が多すぎる。
コロナの予防注射を打つ会場でも、何度も全く同じことを思いましたが、
そもそも接種者や選挙人より、スタッフの数が多すぎます。
投票人の私が1人であるのに対して、会場に「スタッフ」が、8名いました。
どないやねん!!
と、普通の感覚をもったお笑い芸人の動画を見ている普通の人ならば、
関西人ではなくても関西弁でツッコみたくなってしまう、この現場。
この8人たちの給料は、税金から払われているってことでしょうか?
社畜ワーママである私が、メンタルを病んで不眠になったり、食欲旺盛になって体脂肪率や健康診断の結果に一喜一憂したりしながら、子どもに当たり散らすような粗相に良心の呵責を感じながら、日々控えめに言って多すぎる税金を搾り取られているところ、
最近は警備の人がロボットになったりしているところ(これこそ、投票所はロボ君大活躍すべき現場だと思いますが)
社畜ワーママが家族を犠牲にしながら会社に搾り取られる税金が、この方々のアルバイト代に払われているという理解だとしたら、
ちゃぶ台返しです。
政府なのか総務省なのか知りませんが、「投票率を上げたい」という気がなく、むしろ若い世代は来るな、という障害物を必死に設置するような、不気味な気合いすら感じました。
わざわざ労力を使って不愉快で非効率的な何かを体験しに行くなんて、
暇な高齢者以外、だれが行きたいと思うのでしょうか?
少なくとも時間に追われるワーママにとっては、「どないやねん」に加えて、
「投票行くの今後は辞めようかな」と思うに十分な程度には、
不条理で意味不明な世界でした。
具体的な期限前投票のプロセス
とりあえず、有休を申請したため、他の諸々の用事を済ませながら、その隙間時間に一生懸命歩いて、会場に到着。
まず最初の関門で、スタッフ1人目登場、持参した送付されてきた投票用紙的なものをカバンから取り出し、何かを書き込む欄があったので、そこにある郵便局のテーブル的な雰囲気のところで、名前などの必須項目を書き込みます。
その中に、
「どうして当日来れないのですか?」という選択肢があり
「そんなに暇じゃねーよ」
などと、心の中でディスり(もとい、呟き)ながら、「旅行・レジャーに〇」。を、鉛筆でする。
そんなん、いったい、聞いてどうするのでしょうか。
というか、これ、紙に書いて、誰が紙からデータに転記するような集計作業をしてるのでしょうか。。
鉛筆は税金なのでしょうか。
こちらの集計は、内職ですか、それとも「ココナラ」に外注ですか?
その時点で、かなり「デジタル庁」のどなたかを、面と向かって責めたいような、そんな気持ちになってきています。
どんだけ、非効率で、余裕こきまくりの日本なのでしょうか。
普段はずっとパソコン生活で、握ったとしても、シャープペンですらなく、ボールペンの社畜ワーママ。
日常生活の中で、ほんとうに、久々に、鉛筆握るな・・・と思いながら、
後ろで暇そうなスタッフ1が「期日前投票ですか?」と別の通行人に声をかけ、
「いや、この道が職場への近道ですので、通過してます」
という不毛な会話という、BGMを聞きながら。
こちらの投票所スタッフの皆さん、ちなみに私は1分1秒を争うほど、死ぬほどブラック産業的に日本の社畜として働くワーママなのですが、
どれだけ暇なんですか?
部屋に入ると、よくわからない用紙を渡したスタッフ2人目が何かのチェック項目に〇をする。
身分証明書も求められない。
流れ作業で、次のスタッフ3人目が何かのチェック項目に〇をする。
スタッフ4人目の前にある機械から、投票用紙が自動でビーっと出てくる。
自動に出てくる用紙の前にいる人って何?と、
あまりに意味不明で鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしつつ、用紙をおとなしく受け取り、インバウンド旅行者に大人気の「ラーメン一蘭」のような区切られたブースで、異常なくらいに立派にとんがった鉛筆で、候補者の名前を書く。
一字一句間違うと無効になると聞いたことがあり、ふりがなつきでも名前を2回見直します。
一応、良き市民であるワーママ、しっかりと事前に予習してあるので、ここはスムーズに候補者の名前を書くのですが、書き終わってきょろきょろしていると、そこには1つの灰色の投票ボックスが。
投票所に一歩踏み入れた段階から、トヨタの究極に改善された工場のベルトコンベアにいる気分になりながらも、
その縦長の用紙を投票ボックスに、用紙を入れました。
この時点で2つに折っていれるべきかどうかで悩むが、おそらくどうでもいいと思い、実際にサイズ的には折らずにも入ったので、
無言で、そのまま誰にも気づかれないように、こっそり入れる。
内心、「これって誰が集計してデータ化するのか」という疑問が、頭をよぎりながら。
目の前には投票ボックスをじっと眺めるスタッフ3人。
スタッフ3人の目の前で、紙をボックスに入れる。
まるで、その紙が投票ボックスの底に到着するまでの間、ドラゴンボールの「精神と時の部屋」に入ったかのような感覚になるほど、スローモーションでした。
普段、少数精鋭の組織にいると、この、ミステリーすぎる非効率性、非合理さが、異常なほど浮きだっています。
これは、何かのホラー映画か、
何かの羞恥プレイのようなものなのでしょうか???
私は血税を払っている社畜ブラックワーママです。
この時点で、すでに7人か8人が、投票人である、たった一人の私のために狭い部屋にいる。
誰がどう見ても、少子化が進む日本における、”異常事態”が投票所では起こっているのです。
SNSか、LINEで投票にしたらいいんじゃないの?
コロナの予防注射の際にも同じことが起きましたが、そこに「無駄にでも」人がいないといけなかった理由があります。
人に物理的に注射をするからです。
一方、投票は、そもそも、そこに人がいる必要があり、紙にヒューマンビーイングが、鉛筆で書く必要、あるのでしょうか?
投票用紙が自宅に送られてくる時点で、相当数の紙(地球のかけがえのない資源)を無駄にしています。
そして、それを持参して投票所に赴く手間と時間。
令和の時代に、吹き抜けるような、さわやかでカビ臭過ぎる昭和の風を感じました。
なんだか、田舎の実家を通り越して、太古の人類について遠い目をしながら思いに耽ってしまえる、古さです。
いち、社畜ワーママとして税金を搾り取られている立場から、
ぼそっと呟いているだけなのですが、
そもそも、紙ベースの投票、辞めません?
ツイッターかLINEで投票にしたら、若い人でも「楽ちん」に投票できますよね。(LINEがどこの地域の資本か、は別として)
もちろん、トランプ政権前に問題となった、情報操作、ハッキング、情報漏洩など数々の問題はあると思いますが、
・8人の無駄スタッフを国民の税金で雇い、
・ESGに反する紙に鉛筆で投票させるシステム
これは、控えめに言って、「気が狂って」ます。
ATMというものがあるのに、バブル時代に手で必死に札束を数えている某大手銀行員のようなイメージです。
おそらく、40-50代は札束を数えられると思いますが、投票所でアルバイトしている学生は、そんなスキルを身に着ける必要があるのでしょうか?
リスキリングしたい人は、そんなスキルを身に着けて、どうするのでしょうか。
陰謀論者が喜びそうな話ですが・・・
結論として、これほどまでに人材や税金を無駄に使い、紙を無駄に使い、その不条理なプロセスを体験して、私が思うところは、
「これは、政府が若い人たちに選挙に行かせないための陰謀である。」
高齢者という厚い支持層に有利な政策を行うための陰謀である。
ということです。
私がメシウマの対象としてしまっている(すみません)「まじめな陰謀論者」である皆さん、普段、陰謀論には加担しておりませんが、この件については、私もちょっと共感します。
これは「政府の陰謀」以外の何物でもない気がしてきました。
成田先生を最近ネットでは見かけないのですが、30代以下の若者がこぞって選挙に行ったくらいでは何も変わらないとおっしゃっていた気がするのです。
実際、日本社会における、紛れもないマイノリティである若者が選挙に行ってもそこまで変わらない上に、さらに8人のスタッフと不毛なやりとりをするなんて、どうやって暇そうな高齢者たちの、厚い層と闘えと言うのでしょうか。
私が今20歳なら、間違いなくそんな無駄なことはせず、TikTokを見ます。
この構図、どこかで見たことあると思ったら、ドラクエでいうと、30代までの投票は「何でもない普通のスライムが、鳥山明の筋肉ムキムキな主人公と戦う局面」です。
最盛期のアーノルド・シュワルツネガー(シュワ様)が「コマンドー」でランチャーをぶっ放し、敵(若い世代)がすべてバタバタ死ぬ感じです。
そんな不公正な世界があっていいのか?と思います。
いち投票者として、切実に、若い世代が気軽に投票できるプラットフォーム・システムを構築することに加えて、若い世代の意見をより傾斜をかけて計算するような「下駄」が必要だと思います。
K野大臣、LINEやXを通り越して、VRでも問題ないです。
もちろんアップルの円安で30万円以上するようなVRゴーグルを買う振興券を配って下されば。
民主主義の限界かもしれない
今の学生が教科書で何を習っているのか、義務教育を放棄してインターに通わせている親としては、いまいちわかっていないのですが、
今回のアメージングな投票エクスペリエンスを通じて
「民主主義の限界」を感じました。
結局、ポリシーメーカーも、投票者も、大衆には投票させたくないのです。
おそらく、世界の一部のエリート集団は、とっくの昔に、民主主義の限界を理解しています。
とにかく、たくさん集まると文殊の知恵だったのは、ローマ時代か古代中国の話。
たくさんの普通の人を集めても、いいアイディアでもなければ、単なるお祭りになってしまうのです。
衛星から各所の民衆の声や問題意識を集めて、アルゴリズムが賢く仕切ってくれる方が、地球の大事な資源である紙や鉛筆、また、何より大事な搾取された税金を使って暇そうな人を雇うより、確実に意義がある、というのは当然の「ロジカルシンキング」です。
ということで、民主主義の限界と、成田先生の提唱する「アルゴが支配する社会」の到来が近いことを感じたワーママでした。
某デジタル庁大臣のおかげで、ネコかちいかわが政治家になり、アルゴが最適な決定をする社会のほうが、私が体験した投票体験より少なくとも2倍くらいは、ましだと思います。
皆さまはこのモヤモヤ感、どう処理されているのでしょうか?
ちなみに、あの選挙人を掲げる木のボードみたいなやつも、ESGに反しますよね。
うーむ。
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