かわいそうなのは誰?という思考のフレームワーク。
おはようございます!
今日は短めに、日常であった気づきの話です。
二拠点生活の自然との付き合い方
平日は都心で、週末を田舎で過ごすという二拠点生活をゆるりとつづけているのですが、
田舎の家は、自然の中にあるので、虫が出ます。
Gのつくやつも出ます。
Gは冷却して退治することもありますが、
虫は基本的に逃しています。
それでも、キッチン周りに出てくると、虫が苦手な私は
毎回毎回、「うわっ」「ぎゃー!」となってしまうのです。
鳥がギャアギャア鳴いていると思ったら、
戦いで負けた鳥が庭で息絶えていたこともありました。
都心だと全く目につかないものの、ワイルドライフを身近で感じる田舎生活です。
今朝出会った、とある蜘蛛の話。
虫の中でも、蜘蛛は、ほかの虫を退治してくれるので、駆除しません。
いつも外に逃がしてあげています。
今朝は
「冷蔵庫の中」に少し大きめの蜘蛛がいて、
冷蔵庫の中に虫!?
とびっくりしてしまいました。
「うわ、蜘蛛が冷蔵庫にいる!」
=食品に虫がついちゃったらどうしよう!!
とパニックになりながら、夫に訴えたところ、
「えっ、蜘蛛がかわいそうだね!(そんな寒いところで)」
と瞬発で回答が返ってきました。
えっ!?
私はその回答がとても意外でした。
そっか、誰目線に立つかで、解釈が変わるんだ。
私は食品があるところに虫がいるなんて!
と「自分や家族」にとっての「害」に注目していたので、
見つけた瞬間パニックになりストレスを感じましたが、
(そもそも冷蔵庫のような環境で蜘蛛が生きていることが驚き)
夫は「蜘蛛がかわいそう」という「蜘蛛」目線でものを見ていたため、
おそらくストレスを感じなかったのでしょう。
誰視点で考えるかで、ストレスの感じ方が違う、
そして、起きた出来事に対して
解釈次第でストレスを感じないこともできる、
(私は蜘蛛を外に逃がした後で、「よかった、蜘蛛の役に立てた」と思いました。)
というのは、個人的には大きな発見でした。
起きたことを、不愉快に感じるのか、その人の立場になって考えるのか、
その柔軟な思考法がメンタルの強さなのかもしれません。
「自分がストレスを感じない考え方」
を、自ら解釈によって作り出す
ということは、重要な処世術かもしれませんね。
「解釈力」は、重要な処世術。
柳のようなしなやかさと、最強メンタルは、この「解釈力」によって作られるのかもしれません。
怪我をしても、「もっと大きな事故じゃなくてよかった!」
会社をクビになっても、「キャリアアップのチャンスだ!」
などなど、いろいろなポジティブな解釈が可能です。
人が何と言おうと、解釈をネガティブにしないだけで、脳はハッピーになりそうです。
蜘蛛と夫に教えてもらった「解釈力」、これから鍛えたいな、と思いました。
ほかの人が何と言おうと、転職活動はチャンスで、この休憩期間は自分のキャリアを考えるチャンス。
常に、人や自分に寄り添いながら、
「被害者意識」に溺れないように(ストレス溜めないように)
うまく解釈していきたいなー、と思いました。
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