文章は人で、人は文章で。
「文章はタイトルが大事!」
「文章は最初の3行が大事!」
「でも内容もやっぱり大事!」
文章について学べば学ぶほど、なにが大事なのかわからなくなる。
言い換えれば、「わかった気でいる」ことがわかるようになる。
物書きとして活動するようになり、曲がりなりにも文章の勉強をしてきたつもりではあるが、まだまだひよっこにすぎない。noteや書籍、SNSなどで「うわぁこの文章すごいや」と、感心と悲嘆のため息をつく毎日である。
タイトルが秀逸なら、やはり興味をそそられる。noteでそういうタイトルを見つけたら、つい気になってクリックないしタップしてしまう。
書き出しの3行は、タイトル以上に求心力が求められる。ここで上手くいけば読了率は上がるし、逆に失敗すればその時点でブラウザバック。
でも最終的には中身が大事。「めっちゃ好き」「ちょっと苦手」「素晴らしいけれど好みじゃない」など、読み進めていく中で最終的な評価が決まる。これはタイトルや導入だけでは判断しきれないものだ。
そんなことをつらつらと考えていると、あるモノに似ていると思った。
恋愛だ。
タイトルは「ルックス」。ビジュアルの良い人は、やはり目を引く。なんらかの誘引剤かのように、ふらふらと吸い寄せられてしまう。僕が面食いだからかもしれないが。
最初の3行は「第一印象」。初対面の挨拶が好印象なら、好感を持てる。そして、相手のことをもっと知りたくなる。僕がちょろいからかもしれないが。
内容は「為人」。明るいのか暗いのか、にぎやかなのか静かなのか、柔和なのかグイグイくるのか、こればかりは好みだ。
それに相性もある。「いい人なんだけど自分には合わない」ということもめずらしくはないだろう。
そして、文章も人も、見えているものがすべてではない。嘘もつくし、皆まで書かない(言わない)こともある。表現の外にある不可視要素にどれだけ心を配れるかどうかで、理解の深さは大きく変わってくるだろう。
文章って、恋する人間みたいだな。
文章をそもそも読まれなかったら、タイトルを工夫してみる。髪型を整えたり、服装を変えてみたりするように。
導入がイマイチだったら、最初の3行を工夫してみる。爽やかな挨拶を心がけたり、口角を上げる練習をしたりするように。
本文に手ごたえがなかったら、客観的に判断してみる。自分の性格を分析したり、嗜好を確認したりするように。相性が合わなければ、潔く諦める。
そしてなにより、思っているほど上手くできないのが、文章や恋愛なのである。相手の求めているものがわからないし、自分の感情を抑えられない。上手くいかないことの方がどう考えたって多い。
文章も恋愛も、まず挑むことが第一歩。「千里の道も一歩から」ならぬ「千字の文も一字から」だ。戦場に立たずして得られるものなど、たかが知れている。
戦場に立ってはじめて、なにかを学ぶ。当たって砕けたり、当たって弾けたり、当たる前にズッコケたりしながら、相手を、そして自分を知っていく。
自分を知っていくと、自分が磨かれる。なにが好きでなにが嫌いか。なにが長所でなにが短所か。自分のことを知れば知るほど、自分以外の人と向き合う力が養われると僕は思う。
文章を書くという行為は、まるで人間の営みだ。文章の書き方を学ぶことで人としての生き方をも学び、人として生きていくことで文章が生きていく。そんな気がする。
「悟ったような哲学を語るヒマがあったら恋人の一人でも作ったらどうだ」というごもっともな意見は、一切受けつけないのであしからず。
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