『ジェーン・エア』シャーロット・ブロンテ 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
シャーロット・ブロンテ(1816-1855)の父親は、イングランド北部のヨークシャーにある小さな村ソーントンの牧師でした。母親は病弱であったうえ、多産によって身体に負荷が掛かり、シャーロットが五歳のときに亡くなりました。彼女は六人兄弟の三番目の子として生まれました。八歳の時、二人の姉と妹エミリーと共にイングランド西北部ランカシャーにあるカウアン・ブリッジという寄宿学校へ入学します。この学校の環境は劣悪で、食事は貧しく、勉学や校内活動は過酷な環境で行われました。また衛生面も酷かったことから、当時イングランドでも流行っていたチフスが校内でも蔓延します。これに姉二人が掛かって肺を患い、ともに命を失いました。その後、シャーロットとエミリーは自宅であるハワース牧師館(現ブロンテ牧師館博物館)へ戻り、学校へは通わずに末娘のアンを交えて独自で語学を学びます。その間に詩や文学に触れて、彼女たち自らも詩を書き始めました。そして、彼女たちは自らが楽しいと感じる執筆で生きていこうと意志を固め、三人の詩をまとめて詩集を発表していきました。実にシャーロットは生涯で二百を超える詩を書きましたが、その執筆で生計を立てることは困難でした。家庭には財産があまり無かったことから、生活を支えるために、学校教師として、後に家庭教師として、各地を走り回りました。シャーロットに募る疲労とフラストレーションは、やがて自らで私塾を開いて運営しようという考えへと導きます。自らの教職能力を磨くために、ベルギーのブリュッセルにあるエジェ寄宿学校へエミリーとともに留学します。そこでは快く受け入れられて計画は順調に見えましたが、シャーロットは学長の夫に恋をしてしまい、結果的にイングランドへ引き返すことになりました。また、その後に牧師館で開いた私塾もうまく生徒が集まらずに、この計画そのものが頓挫します。彼女たちは残された情熱の矛先である「文学」を生きていく糧にしようと決意します。筆名を男性的なものとして、彼女たち三人は熱心に執筆に取り組みます。そして、シャーロットは『プロフェッサー』、エミリーは『嵐が丘』、アンは『アグネス・グレイ』を書き上げ、後者二作品はようやく出版へと漕ぎ着けることができました。シャーロットは出版が叶わなかったことを励みにして、自伝的要素を強く含んだ本作『ジェーン・エア』を執筆し、遂に出版が叶います。そして、発表されるなり、瞬く間に文壇に議論を呼び起こして世間に受け入れられることになりました。
このヴィクトリア朝時代はスティーブンソンの蒸気機関実用化を発端にして目紛しく産業革命が行われた時代でした。交通の発達で主産物の交易、それに伴う搬送や製造の中心となる鉄鋼業が盛んに成長を見せます。そしてイングランドが得た莫大な資本は、世界各地へと手を伸ばして植民地を次々に獲得していきました。世界的帝国となった国内では、中流階級層が産業に次々と参入し、より大きな資産を手にしていきます。しかし一方で、その産業における労働者階級の層は拡大、定着していきました。家柄に恵まれない人々は脱出困難な低所得層に留まり続け、より一層の格差社会が形成されていきます。また、中流階級層が貴族的な性質に憧れを抱いたことで、家父長制社会の色もより濃くなり、女性の自立も非常に困難な社会へと作り上げられていきました。そのような社会にありながら、前述のようにシャーロットは「女性の自立」を強く願い、そして成し得た人物です。彼女自身の経験を反映した半自叙伝として描かれた本作が、ヴィクトリア朝時代の階級社会、家父長制社会に反発心を抱いていることは、ごく自然なことであるように思われます。
このヴィクトリア朝時代の文学は、それまで席巻していたロマン主義からリアリズムへと移行していった時期でした。その描き出す「現実」は、主に社会風刺が織り込まれていました。チャールズ・ディケンズ、ウィリアム・サッカレー、ジョージ・エリオット、トマス・ハーディなどが挙げられます。彼らは様々な立場から「現実の社会」を見つめました。周囲に広がる社会と個人の内面を照らし合わせ、逃れられない環境から如何にして幸福を得るべきか、と言った問いが数多投げられました。本作『ジェーン・エア』もこれらに漏れず、社会において幸福を得ようと懸命に生きる女性の姿が描かれています。このビルドゥングス・ロマン(教養小説)として書かれた作品は、社会と戦うジェーンが一人称で読者に向かって語り続けます。格差社会と家父長制社会に身を投じながら、信念を曲げず、懐柔を避け、一貫した幸福への渇望を糧に「女性の自立」を目指します。
ジェーンが求める「幸福」には、女性の自立、信念の尊重、真実の愛が込められています。情婦を軽蔑し、男性と対等な愛情の分かち合いを望み、貸借無い夫婦の関係を心から望みます。このような女性の姿勢に対して、中流階級層は嫌悪の姿勢を見せました。女性が対等であるという考え方は、家父長制が根付いた多くの人々には受け入れられなかったためです。同時に、本作では反カトリシズム的な要素を含んだ描写が見られます。当然ながら誇張した表現ではありますが、牧師が愛の無い結婚を迫るという場面があり、牧師自身の望みが神が望むことであると強要します。この点に、冒涜的であるという意見が多く投げられました。そのような批評が溢れたなかで、本作『ジェーン・エア』は大衆に広く受け入れられ、多くの賛同を受けることになります。この成功は、シャーロット自身に、女性としての明確な自立を齎したと言えます。
シャーロットは女性の内面をリアリズムによって描写し、生来の欲望や社会環境との闘いを、ヴィクトリア朝時代の文壇に新たな真実として露見させました。この表現方法は、当時の文壇では革命的な衝撃を与えました。女性の自立という面だけでなく、一人称物語において主人公が道徳的に、及び精神的に、物語のなかで成長を見せていくという点で「私的意識」の描写に成功しています。そして成長のなかに、キリスト教道徳、個人主義、格差社会、家父長制社会が組み込まれ、女性の置かれた現実、低所得層の置かれた現実、カトリックの現実の片鱗と対峙して、それを乗り越える「自立へ向けた信念」が強く描かれています。
終盤で見せる聖ヨハネの言葉を持ち出して強要する牧師に対して、「個としての心」を自ら護り、対等である真実の愛を追求したことで、ジェーンが運命を勝ち取るというところは、一貫した信念と幸福への渇望が実った素晴らしい展開であると感じました。本作『ジェーン・エア』は、個人的な苦しみと、これらの壁を乗り越える勇気や機知について熱心に描かれた作品であると言えます。また、結末へ向けた劇的な展開は、「真の信仰」と「神の所在」を痛感するものとなっており、信念が報われるさまは見事です。そして、人間の愛を改めて考えさせられる作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。