About MY LIFE. #4国立大学を辞めた時。その決意と行動の裏側は。
Episode 4: 人生で1番辛い時パート1
大学1年生の秋頃からちょこちょこ東京に遊びに行く機会ができて、よく週末ともなれば、栃木から宇都宮線に乗り、はるばる東京に買い物をしに行っていた。
時代はまさに、2000年、原宿カルチャーの時代。
岩手の田舎で生まれ育った田舎っぺの私には、東京という場所は、全てが刺激的で高ぶった。
行くとこ行くとこえ、めっちゃオシャレやーん!と感じ、
まさに私が思い描いてのはこれ!と、ここに来たい!と思い、
大学を辞めることを本当に決意。(早っ)
よーし大学をやはり辞めよう!と、決意も固まり、
さて、何に進もう....?と考えていた時、
大学で知り合った人がどうやら大学を辞めて、スタイリストアシスタントになったという話を聞き、スタイリストかぁ..!と軽い気持ちで、いいかもと思ったのだ。
当時、雑誌のminiなどに大御所のスタイリストさんがアシスタント募集というお知らせがよく載っていて、応募しようかなと浅はかに考えてみた。
そこで、母に辞めることを伝え、
「それでさ、スタイリスト?になろうかな」って伝えると、
「なっ、なっ、なんなの、それ?!そんな資格とか何もないものは辞めなさい。せめて、興味があるって言ってた、国家資格の美容師になるならまだしも...😡」
と言われた。
たしかに...!
(自分でもびっくりするくらい浅はかな思考だったなと、今反省している。)
忘れてたあの高校の時、ちょっとなりたかったかもな職業!
はい、決めました。
ここからはもう早かった。
学校も休学届けを出し、美容学校の入学試験なども終わってしまっていたので、タイミング的に学校に入るにはあと1年あるということで、フリーターとしてバイトしてお金を貯めることに専念。
母にも本当にやりたいならお金貯めて気持ちを見せなさいと言われたので、みんなが楽しそうな大学ライフを送るのを横目に見ながら、ひたすらバイトバイトバイトな生活。
めっちゃ辛かった。やりたくない仕事をするのって、いくらお金のためでも本当に楽しくない。私は何をしているんだろう、この決意は正しかったのかな...と悲しくなる日々。
19歳のわたしにはきつかった。
美容室のバイトをしながら、時にはティッシュ配りをしたり、電気屋でインターネット契約の宣伝の売り子したり、結婚式の配膳のバイトしたり。
けっこうたくさんやりました。だから、バイトとかしてないで苦労も全くしていない人には本当に共感できない。
とにかく無我夢中でやって、親を納得させようと頑張った。
説得に説得を重ね、両親も悲しそうだけど、ついに大学を辞めることを承諾してくれました。
親の期待に添えなかったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいだったから、胸がキュッとなる思いでしたが、悔いはなかった。
そうこうして1年後、ようやく美容学校の試験を受けることになりました。
当時FRUITSなどに載っているオシャレな人はみんな日美出身ということで、迷わず日美を受け、無事合格したのでした。
パチパチ👏
日本美容学校編に続く
Ritsuko