嫉妬について考える(「赤めだか」より)
立川談春著「赤めだか」で有名な一節がある。
この後、談春は志らくとつるむようになる。
自分の感情と向き合う
生きていると、他人の芝が青く見えることばかりだ。
帰国子女の経歴を羨んだり、就職氷河期で育休をとるのも今ほどメジャーじゃなく熾烈な保活を生き抜いた自分と、若くして子を産み体力もある状態で仕事も昇進するママ友を見て、時代のせいにしたくなったり、癇癪もなく夜も1人で早く寝るという子の話を聞いて育児負荷の違いに想いを馳せたり。
まぁないものねだりだ。
そういった感情自体は否定しないが、考えてしまうのはヒマだからだ、と自分では思うようにしている。
人を羨んだところで、何かを得られるわけでもなく、生産性のない時間なので、そんなヒマあったら、寝て体力回復するか、本でも読んでた方がいい。
相手の懐に飛び込む
何もかもうまくいっているように見える人でも、人知れずの悩みを抱えてたり、陰で努力を重ねていたりする。
それを知るためにも相手の懐に飛び込む。
懐に飛び込むために、まずは自己開示をする。
私は何に眩しさを感じているのか。そうなりたいのか、それは影響の輪にあるものなのか。
コミュニケーションはキャッチボールだ。
新たな価値観の人とキャッチボールを行い、思いもよらない球を返されることで、自分の球種にも変化が生じる。
人生を謳歌し、自分の楽しみを追求することに集中すれば、人に嫉妬している時間なんてないはずなんだ。
嫉妬してる自分に気付いたら、どこのポイントが気になったのか分析する。同時に、いや私が持っているこのカードもなかなかいいのでは、と振り返る。
そして影響の輪と関心の輪を見極め、具体的なアクションに落とし込む。
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この本を読むのは2回目で、当時この一節が特に好きだったので再掲する。
「俺の基準で馬鹿と云う」
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