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人生の暗黒期、終わった模様

うわーーーー文章書くのめっっっちゃ久しぶりすぎる!!!

あまりにも人生の暗黒期が長すぎて死んでましたw
就活失敗してから5年。。いや流すぎん?やめてもろてw
ってこんな軽口叩けるようになるまで復活してきた気がする!

今回は、暗黒期スタートからの人生年表と
そこから抜け口がみえてきた要因を書いておこうと思います。

①就職活動の失敗

コレがまさにきっかけ。全部ここから始まっている。
私は割と優等生タイプで、高校も大学も行きたいところに入るための
努力は惜しまなかったし、習い事だって活躍できるよう頑張ってたし
言うなら挫折知らずの状態。
病むほどの失敗したことない、みたいな敵なし状態のメンタル。
器用貧乏なので、それとなく何事もこなせるタイプでした。
就活も今までの経歴生かすために大手に就職すれば、人生勝ち組!
と思ってました、甘すぎる。
そこで蓋開けたらまじで全部落ちる。落ちまくる。落ち続ける。
面接練習のつもりで受けたアパレルだけ受かり、
そこに行きたくないから(じゃあ受けるな)就活続けてたけど、
あまりにもショックすぎてメンタル持たず強制終了。
大手に受からなかった、今まで培ってきた学力の意味とは、初めて人生の方向性で希望通りいかなかった、など諸々が一気にきてメンタル死亡。

②血迷って公務員試験の勉強を始める

親にずっと公務員をすすめられていたこと、就職で親を喜ばせてあげられなかったこと、さらにメンタル逝ってるのも相まって、次の募集で公務員試験を受けようと決意して、勉強を開始してました。
卒業旅行の飛行機内にまで、勉強道具持ち込んでたな。。
親からの呪縛、人生で初めて失敗してしまったことへの固執から生まれる
間違った判断でした。公務員試験に合格することで、就活に失敗した自分を埋めようとしての行動。
公務員になりたいから、ではなく、不足感から生まれる判断なので
うまくいくはずがありません。

試験前に婦人科の病気になり、勉強を続けることも、試験を受けることもできなくなりました。(2度目の強制終了)

③営業職に転職→新人賞取るもののメンタル持たず秒で退職

アパレルに就職したまま公務員試験の勉強をしていたので
会社に在籍はしていました。どう転ぼうと絶対に1年で辞めることは
就職前から決めていたので、アパレルを退職し、次に就いた仕事が営業職。
いやなんで営業やねん、と今なら思うのですが
また病んだまま不足感から導いた答えなのでしょうがないんですw
接客をずっとしているのでその経験が生かせる、
営業なので頑張ればお金もらえる(また不足感埋めようとしてる)
インターネット系の会社だったので、営業で経験積んだら
ディレクター職に就くのもいいかも、と思って就職しました。

そしたら、入社翌月から新人賞受賞して、その後も何度か賞をもらったのですが、これだけ成果が出ても本当に苦しかった。
得意で結果も出る仕事をするべき説は、私にはあてはまらなかった。
営業手法がテレアポなのもキツかったし、人に売りつける感じが本当に苦手で、テレアポも営業もただの迷惑行為にしか思えなくて、メンタルギブ。
成果も出てたし、人間関係にも恵まれていた職場なのに、続けることができなかったことも相当ショックで、さらに心の病み具合が加速。

④相当血迷い、公務員のパートに就く
あーー書きながら当時の決断がやばすぎて迷走しすぎて
若干自分に引いてるんですけど、最後まで書き切ろうと思います。笑
このあたりから本当に鬱だったと思うんですけど
当時の私は休むことが本当に怖かった。無職なんて怖過ぎて
立ち止まるなんて考えられなくて。
不足感から、今までの失敗を帳消ししたいという思いが強くなってしまい
公務員試験に再度チャレンジするため、パートをしながら勉強を再開しようと思っていました。そして、公務員のパート職に就きます。
これが死ぬほど合わずw職場のメンタルチェックがきっかけで
産業医との面談を初めて経験、担当の方の前で号泣w
相当メンタル逝かれてたと思います。
ただ、ここで公務員が死ぬほど自分に合わないことが身に染みたので
公務員になるという選択肢をやっとのことで消せました。
遅い。本当に遅い。もっと早く気づきたかったけど、当時はそれがムリで
精一杯でした。

⑤血迷いは続く、接客・販売業に戻る、またも秒で退職

公務員パートは任期付き職員だったので、また職探しです。
組織勤め、正社員は向いていないと分かりつつ
一人暮らしは続けたい、働きながら副業でも始めようと思っていました。
今思えば、当時の私がやるべきことはただ一つ、
休むことだったんですけどね。
アパレルをやっていた時、楽しい瞬間もあったので
自分で気づいていないだけで接客好きなのかな?と思ったことと
高価なモノの世界を見てみたいという好奇心もあって
ジュエリー販売の仕事に就きます。
そうしたら、そこの店長の人間性が死んでいる。。。
私が敏感すぎるのも悪かったと思うんですが、
仲良くしたい人が一人もおらず。。
アパレルが楽しい時間もあったのは、仲の良い人たちが
周りにいたからで、接客が好きなわけではなかったと気付きます。
本当にメンタルがずっと病んだまま決断・行動していたので
だいぶ色んな気持ちが蓄積しており、今までの自分なら我慢できたであろうことも我慢がきかなくなっていました。仕事場の人たちが嫌すぎて同じ空間にいるのも耐えられなくて、自殺願望も激しくなってきていました。
ある日、自殺の衝動が抑えられなくなり、このままだと本当の本当に死んでしまうと思い、その日に退職代行を申し込んで即日退職しました。

ここでの出来事は賛否両論あると思います。批判の声の方が大きいでしょう。でも、必死に決断した証であり、誰にも相談できなくて死なないためにした行動で、今辛い人がたまたま読んで生き延びてくれるかもしれないのでここでは包み隠さず書きました。
退職代行で辞めたことは、ただの一人にも言っていません。今でもです。
家族にも友達にも言っていない、墓場まで持っていこうと思っていた事実です。

⑥血迷いはさらに続く、塾の受付に就職、またも秒で(以下略

職探しよりも前に精神科探せ、と言いたいのですが
鬱過ぎてもうここまで来ると頭が回ってないんですね。心死んでるし。
でも無職は怖過ぎる、副業もしようと思ってたのに本業のジュエリーでやられすぎて何一つ始められていない、したいことも見つからない(病んでるので当たり前なのですが)
だから、事務作業なら脳死でできる、パートだから残業なし、
受験頑張ってきたからなにか生徒の役に立てるかも(過去の栄光にすがってますよね完全に。受験の成功勝ち取ったの何年前の話なんだ)
という理由で塾の受付事務に応募。
生徒は本当にかわいかったですが、またも職場の人がムリすぎて
強制終了。体調も精神も不調が止まらずでした。

⑦バイトならどう?→休めボケの強制終了、なんと1日で辞める(さすがに最速)

本当にドン引きなのですが、バイトで週3くらいならと思って応募したところがまさかのブラックで、何人も学生さん辞めさせてるお局さんがいて、その人に初日からガミガミ言われ、その場で号泣w
これは本当に休めの最終警告だと思い、すぐ辞めました。
1日で辞めたなんてまた批判の嵐だと思うんですけど
死ぬほど勇気を振り絞って辞めることをマネージャーに伝えました。
もう休まざるを得ない状況になってしまって、失業保険の手続きをすることに決めました。
ここでやっと、半年間のお休み期間、無職期間に突入します。
まあ休んだからと言って心穏やかになったわけではなかったのですが。

わーかなり長くなってしまった。。
そりゃ職歴こんだけあれば長くなるか。。
一気に書いたので疲れました。笑
文章書く時は、エネルギー出してぶわーっと書かないと
筆が進まないんですよね。
暗黒期抜けたきっかけとかは、また次の記事で書こうと思います!
それでは❤








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RIRI
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