【曲から短歌】文学と音楽のコラボ〜米津玄師〜【宇宙杯スピンオフ企画】
君の乗る列車探して冬銀河
癒えぬ傷さえわたしの光
君の乗る列車探して冬銀河
これは前回の俳句大会で、投票による決勝戦まで残った句です。それにこの曲のイメージを付け足して、短歌にしてみました。
そもそも、この句は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」からイメージして作った句です。日常を詠んだものではないストーリー的な句も、決勝戦まで残る可能性もないわけではないということ。
ではなぜ、日常の想いを詠んでないのに決勝まで登れたか?
それはおそらく、小説の世界を飛び出て個々人の感情を巻き込み共感を得ることができたのだと思います。
一見してジョバンニが夜空を見上げてるような句。ザネリでも良い。この列車は死者の魂を運ぶ役割を果たしていました。そしてこれは、読み手の大切だった人、亡くなった方を想う光景としても捉えることができます。ジョバンニと自分を重ねて、冬の夜空に思いを馳せるような感覚を引き出せるのです。
ぶっちゃけ賞は狙ってません。ただひたすら自分の世界で創作して共感してもらえたら満足。そんな可能性を俳句で勝手に作っているだけです。
しかし向上心を仰ぐ上でも賞は必要だと思う。狙っても狙わなくてもどちらでもいい。そこに楽しさがあるのなら。
で、米津玄師さんの「カムパネルラ」に話を戻します。
米津さんは宮沢賢治のファンであるらしく、銀河鉄道の夜をイメージした曲になっています。そしてこの曲の主役は、カムパネルラに命を助けてもらったザネリ、という解釈が主流です。
でもMVの中のザネリらしき人物は女性です。実はザネリに対して小説の中で性別が判断できる記載がありません。そのため、実は女性だったのではという説もあります。おそらくその解釈からMVのザネリらしき人物が女性なのでは、という声も。
また、歌詞の中に、
と、中原中也の詩を思わせる箇所もあります。
さらっと入れた一節がより想像を膨らませ、小説や詩の世界を巻き込みながら音楽に深みを出す。文学と音楽のコラボ。それが聞き手の中でそれぞれの解釈を持ち、無限に広がっていくような感覚を覚えます。
曲から俳句も、ちょっとそんなイメージ。
曲のどの箇所に感情が動いたかによって、それを自分の日常と置き換えた表現がさまざまで面白い。
そこで、下の句。
癒えぬ傷さえわたしの光
どんな傷さえ私の人生の糧となり、光となる。
ついた傷も、今の私をカタチ取るもの。
どれひとつきっと無駄なものなどなかったのだ、と。
暗い道の先に光が見えるように受け取りました。
別に音楽じゃなくたっていい。
小説でも、詩でも、写真や映画でも。
規定の概念にとらわれず、組み合わせてみる。
そこから17音の詩、
あるいは31音の詩を生み出せたら、
それはもう立派な作品なのだから。
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⬇️宇宙杯スピンオフ企画は3月10日まで❗️
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