金魚のぴーちゃん。【夏の思い出】
小学生の頃。
家の玄関には、いつも金魚がぷかぷか浮かんでいた。
大きな水槽にたった1匹。
なんのへんてつもない、オレンジ色。
えさを食べすぎてぷっくりしている。
人が近づくとパクパク口を開けてくる。
私はランドセルを背負い、
玄関で「行ってきます」といって学校へ行く。
玄関に母が見送りにこないときもあり、そんなときはまるで金魚に「行ってきます」をしているようだった。「ただいま」も、もちろんここ。
めったにお祭りにいかない我が家だったけど、父の手に引かれて町内会の夏祭りに連れて行ってもらったことがある。
町内会だからたいした屋台はないが、幼い私はどうしても金魚すくいとヨーヨー釣りをやりたがった。
「金魚、飼ってもいいの?」
「いいよいいよ、やってみな」
父は気軽に請け負ったが、あとで生き物嫌いな母に怒られていたかもしれない。
子供の私に金魚は取れなかったけど、おじちゃんが1匹だけ金魚をくれた。
薄暗い中で、照明が当たってキラキラ反射する水の袋。小さな世界、小さな赤い魚。私は左手に宝物を下げ、大事に持って帰った。
家に帰ったら、とりあえずどんぶりに入れて、何かふたをかぶせておく。小さな金魚のために大きな水槽や空気をぶくぶくするやつ(名前を忘れた)などを買いそろえてくれた。たった1匹の金魚のために。
金魚に名前はつけていなかったが、父に勝手に「ぴーちゃん」と呼ばれた。
金魚が来る前に飼っていた鳥の名前だ。ヘンテコだから呼ばなかったけど、今心の中であの金魚はぴーちゃんになっている。
縁日の金魚は意外とたくましく、5年ほどうちの玄関で毎日口をパクパクさせていた。
だけどだんだん元気がなくなってほとんど動かなくなり、しまいには横になってしまった。
「お母さん、金魚動かないよ」
「あらあら、しょうがないわね」
「死んじゃったの?」
「そうね」
1週間ほど瀕死だったので覚悟していたのか、あるいは魚なんてどうでもよかったのか。母は平然と金魚をすくい、私は庭に埋めて土を盛って墓を作った。父がよくわからない板に「ぴーちゃん」と書いて墓標を土に差した。
悲しくはなかった。父が家に入ったあと、私はぴーちゃんの前でそっと手を合わせた。今まで、ありがとう。
それからどうなっただろうか。きっと父の畑の肥やしになっただろう。でもそれでいい。生物は循環していく。ぴーちゃんのいない玄関はしばらくがらんとしていた。
...........
一般的に、縁日の金魚はよくて2ヶ月の寿命らしい。すくわれなかった、文字通り救われなかった縁日の金魚は、廃棄されるか餌にされるという。夏祭りが行われない今はどうなってるだろうか。
たかが金魚。
たかが魚。
だけどぴーちゃんは、
私たちの「行ってきます」「ただいま」を何千回、何万回と見守った。
母に叱られた私、泣きたい私にそっと寄り添ってくれた。
あの縁日の金魚1匹1匹にこれから新たなストーリーが生まれるんだと思うと、たくさん泳ぐ金魚たちが愛おしく見える。
どこかの家の玄関で、毎日「行ってきます」「ただいま」を聞けるといい。もしかしたら玄関じゃないかもしれない。しかし彼らのすぐそばには、いろんなドラマが生まれることに間違いない。
⬇️夏の思い出エッセイ&夏のショートストーリー、もうすぐ締め切りです❗️
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