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トイレの中で生まれたものがいつしか夢になっていた
風呂の中、トイレの中。所構わず人生を共にしてきたものがある。
初めて恋をしたとき、失恋したとき、夢が出来たとき、仕事に行きたくないとき、いついかなる時も私の側で支えてくれたものがある。
歌うことだ。
私は俗に言う「フッ軽」だとか「行動力おばけ」と呼ばれる部類の人間だと思う。
趣味の面では、ダンス、筋トレ、マラソン、山登りなどの身体を使うものから、読書や音楽、美術館などでアートに触れたり心で感じるもの、美容、ファッション、コスメなど外側から自分の気持ちを高めるものなど、好きなものは多岐にわたり、気になる場所はすぐ行ってみたくなるし、旅行も好きだ。シングルマザー時代に子供と2人で三重県から長崎県まで車で行ったっけ。旅行行きたい!明後日行こう!って決めた事もあった。
対人間でも、1度目の結婚をしてた頃、元夫と元夫の女友達2人(結婚式の二次会で会ったっきりの2回目まして)と私で飲み会をしようとなった。のはいいが、肝心の元夫が仕事がいつ終わるか分からないという事態になった。女友達2人が私さえ良ければ先に始めてようよと打診が来たので、あまり深く考えずに乗り込んだり、SNSでコメントくれた方と飲み行ったりも何回か。
そんな感じで来るもの拒まずみたいなところが私にはある。
もちろん「去るもの」もあるわけで、趣味は大体ノリで始めてるから支障が出ることもあって山登りなんかはランニングシューズで登ってしまった為に下り時足先が痛くてしんどいが感想になってしまい、山登り用のシューズを買ってまでもう登ろうとも思えなくなったり、マラソンも夢中な頃はハーフマラソン2回走ったけれど冷めてしまった今走るだけという地味な動きに心が動かされない。
去るもの追わずなところもある。
そんな私がどれだけ去ろうとしても結局捕まえてやめられないのが歌うことなのだ。
幼い頃から気付いたら歌ってた。お風呂の中は響いて気持ちいいとよく言うけど、トイレもなかなか気持ちいいのだ。誰にも邪魔されない狭い密室だから大声が出しやすい。けど、誰かのトイレを邪魔していることには当時気付いてなかった。父親に「うるさい!」とか「はやく出ろ!」とか言われても懲りずに毎日歌ってた。
中学生になって初めて片思いという片思いを経験した。ヤンキー寄りでやんちゃな友達がたくさんいるけど学校にはちゃんと登校してくる。授業中寝てる事も多いけど何故か勉強はそこそこできる。先生にも生徒にもモテるタイプの奴だった。
ある日友達の計らいで一緒にカラオケへ行く事になった。奴が何を最初に歌うかワクワクしていた。入れた曲はサザンの「愛の言霊」で流行りの曲でもなければ聴いてる年代でもなく、サビだけかろうじて知っている程度の曲だったが期待を裏切る選曲に、この人は他の人とは違う!とますます恋心は募った。
愛の言霊をはじめ、その日奴が歌った曲を私は覚えた。そして自分で歌った。奴に近付いた気分になれたのがふわふわ気持ちよかった。
高校生になるとさらに歌う頻度が増えた。放課後、休日暇さえあればフリータイムでカラオケに足を運んだ。その弊害でカラオケ屋のバイトのにーちゃんに恋して携帯番号を書いた紙を渡してしまい、そのカラオケ屋でのデートを提案され、よく考えずとも100%店員が裏でネタにしてるであろう事例なのに冒頭で述べたフッ軽が祟って了承してたり、別のにーちゃんに携帯番号を聞かれたり、たぶんカラオケ屋内で有名人になっていた。唯一良かった事はドリンクはいつもおまけしてもらえたことだ。
とにかくいつも歌っていたし友人と遊ぶ際やデートする際もカラオケを提案する事が多かったので人の歌を聴くことも多く「カラオケへ行けば心理状態が分かる」とか名言気取りの迷言すら発していた。
単純に、例えば失恋ソングをたくさん歌う人は辛い恋愛をしているんじゃないか?という憶測からくるものだが別に失恋してなくとも失恋ソングくらい歌うやろと20代に入ってやっと気付いた。
そんな迷言を残してしまったのも、私自身は選ぶ選曲と心の状態が一致していたからだ。失恋したら失恋ソングを泣きながら歌うというドラマ以外で見た事ない行動を現実で行っていたし、もうすぐお付き合いが始まりそうなテンション最高潮の時は例えば広瀬香美さんの「ロマンスの神様」とかドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」なんかは幸せホルモンどばどばでもう付き合ってると言っても過言ではない位の気持ちになれる。
私の心とその気持ちを代弁する歌を歌うことは切っても切り離せない状態にあるのだ。
そんな歌うことだが一度だけ切り離しそうになった事がある。
20代後半の頃だ。私はダンスに夢中になっていた。ダンスに夢中だから歌うことをやめたわけではない。
本気で夢を追っているダンサーに出会ったのがキッカケだっだ。本気で夢を追う姿はかっこいいだけの言葉で片付けられない程、私に影響を与えていた。
彼らと関わるうちに、私も何かはじめてみたい、夢とか仕事とまではいかなくても趣味でいいから好きな事をしてみたいというありがちな願望が浮かんでいた。趣味で、好きなダンスを、今している、のにも関わらず初めて生まれた願望かのようなテンションだった。
でも自分では分かっていた。行動に移すキッカケが欲しかったのだと。夢追う人に感化されたなんて言ってるけど、確かに感化されてる事には間違いないけどずっとずっと人前で歌いたいと言える環境が欲しかったのだ。
「歌をやりたい」って始める前から言うだけでも最上位にハードルが高い趣味だと思う。何故か歌ってそもそも上手くないと始めてはいけない風潮がある気がする。聴いた人の方から歌ってみなよ!と言われないと歌ってはいけない気がする。私は?カラオケへ行けば「上手いね」とは言われるだろう。友達がひびきちゃんの後には歌いたくないとか、デンモク見てた人もひびきちゃんが歌うと顔上げるよとか言ってくれてたけど、テレビに出てくる歌うま!とか達人!とかのレベルじゃないし誰もそんな事は言ってくれない。だから歌いたいなんて言ってはいけないと思ってた。
けど言ってしまったらこっちのもんだった。言ってすぐボイトレの体験を予約しそのまま契約した。
私が感化されたダンサー様達に話すと、こんな無名の私の話を親身になって聞いて応援してくれた。歌える場所まで教えてくれた。ダンサー様達のおかげで人前で歌いたいという夢は簡単に叶っていた。
さらに歌う活動を続けるうちに同じ歌い手さんとの出会いや一緒にイベントやりましょう!なんて声をかけてくれる方までいた。
問題はそこからだった。他の歌い手さん達の歌を聴くと、やはりめちゃくちゃ上手いと思った。歌と歌の間のMCなんかも手慣れていて面白い。自分と他の歌い手さんの間にはすごくすごく差があるように思えた。自分がここにいてはいけないような気がしていた。
特に最初に応援してくれたダンサー様達関係のイベントで歌う時は緊張が伝わってしまう位緊張してしまい楽しむ事が出来なくなっていた。ステージに立つ方がこれではお客さんが楽しめるはずなどない。応援してくれてるのに緊張に飲まれてやり切れない、他の歌い手さんと比べてしまい自信もない。申し訳ない気持ちばかりだった。
練習ですら歌いたくなくなった。歌うと自分で"下手やん出ちゃいけないやろ"と思ってしまう。
ダンサー様達とは少しづつ連絡をとらなくなり、イベントで歌う事は完全になくなった。ちょうど新しい彼氏が出来た事もあって、そっちに逃げた。
情けなかった。情けないけど怖くて歌えなくなった。
けど、そんな私を救ってくれたのも歌う事だった。あんなに怖くて心も折れたのに、懲りずにカラオケでなら歌いたいと思う自分がいた。呆れつつ感心もしていた。何も考えずに1人で歌う時間が増えてきたら、また魅力に取り憑かれていた。車の中では常に歌ってて「車は移動式カラオケ」とかなんとか、また迷言を発するくらい元気になっていた。ステージで歌う気にはなれなかったけど。
この頃から歌う曲が変わったように思う。以前は恋愛ソングばかり共感して歌っていたけど、夢を追う様子を歌った応援ソングや人生観を歌ったものを好むようになったし、歌えなくなった情けなさや人からの失望は誰にも話せなかったからこそ歌にのせて誰にもいない空間に放っていた。私だけが声に出して聴いていた。その時間が大切なものだったと思う。
30代に入った私は離婚、シングルマザーでの生活、人間関係のしがらみなど20代では経験しなかった事を経験し、20代とは180度変わった生活をしていた。肝が据わったようにも感じたし今ならステージでも歌えるかも知れない、と思うようになっていた。けど、そんな時間も人脈もなくなっていた。
現在は再婚、出産とまた新しい経験をしている。出産時の不安や痛みはMrs.Green Appleの「ケセラセラ」で乗り越えた。ステージで歌う事はなくても歌はいつも私の側にいて、欲しい言葉をくれて、私は受け取った。
それだけで充分ではある。
あるが今私は思っている。
そして心震えている。幼い頃のトイレの中のお遊びが様々な経験と共に何十年と時を越え、私を悩まし涙させ落胆させ、また夢とさせてくれた事に。
トイレの中でもいいけれど、もし、出来れば。
いつかまた。死ぬまでには。
ステージの上で、歌ってみたい。