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伝わることと、伝わらないこと(#10 感じたことをどうにか言葉にする)

私は、何某かのことを言語化することを毎日、もはや歯磨きと同じくらい日常的なこととして、やっている。

"本質観取"という「物事の本質をつかむ」ことについて1年弱ではあるが、本格的に研究していた時期もある。

本質をつかみ、言語化し、それを正確に伝えることができれば、これまで意見が食い違っていた人とも「なるほど、確かにそういう考え方もあるね」と、分かり合えるということを前提とした営みだ。

でも最近、人間の感情が絡んだり、どちらかに実体験がないこと若しくは、全く同じ経験でなくとも、構造的に同じような経験をしたことさえなければ、
分かり合うことや理解を共有することはやはりできないのではないか、と絶望してしまうことが2件あった。
相当に難しい、ということで、そこに1%は望みがあるのだろうか。

「価値観の違い」が原因で別れるカップルは少なくない。一方で、「人と人が、すべてぴったり同じなどあり得ないし、今同じでも、互いに別々の経験を重ねるうちに変わりゆく。その上で、擦り合わせたり、にじり寄ったりしていくことが大事」というのも、一理ある。

価値観の違い。
相手が価値観を頑なに変えようとしなかったり、古い価値観であることに延々と無自覚でアップデートしない場合、別れが来ても仕方ないこともあろうな、と、悲しいが納得してしまいそうだ。

私のこれまでの人生に欠かせなかった人たちと、少しずつ価値観がずれていく。
いつか、また交わる日は来るのだろうか…

そして私も、誰かにとってそういう存在だと思う。
半信半疑で、生きていく。

終わり。

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〜余談〜

万年筆、もう無理かも…
家を出る直前に、液漏れ…
しかも焼きそばこぼしたみたいな色…

アメリカ、行ってきます。まずはサンフランシスコまで!

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にったりお/Rio Nitta/生き方研究家
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