読書|本当はちがうんだ日記
限られた文字数で起承転結を創り、まとめあげる。もちろん、笑いのエッセンスも忘れずに。
ナマズ(=旦那)の本棚からこっそり持ち出した本書。
文庫本にしてたったの4ページ程に綴られている各エッセイは面白く、穂村さんの頭と心の中を隈なく覗き見している気分でした。きっと普段から考えていることが面白いんだろうなぁ。
今回は50以上のエッセイの中から、私の付箋がペタッと貼られた3つのエッセイを紹介したいと思います。
タクシー乗り場にて
こちらに登場するお爺様が、素敵で素敵で。
長い行列が続くタクシー乗り場に、穂村さんが並んでいました。やっと自分の番がそろそろだ、というところで、穂村さんの前にいるお爺様が、穂村さんの後ろにいた妊婦さんを先に案内します。
それだけで、なんて紳士なの…!と感動したのですが、これで終わりではありません。
妊婦さんをタクシーに乗せた後、自分は穂村さんの後ろに並んだのです。穂村さんの立場からすると、あと1人でタクシーにありつけた、その筋を通すために、お爺様は順番を譲ります。
なんとカッコいいんだ…と頭がクラクラしたエッセイでした。
止まっている
これは共感の嵐でした。
自分が使っている電話は、とっくに携帯電話なのに、電話をイメージすると黒電話を連想してしまう穂村さん。
わたしは「ポケモンゲーム」と聞いてイメージするソフトは、”ダイパ”ことダイアモンド&パールです。「交通系IC」はカード状のものを思い浮かべてしまいます。
現在、ポケモン最新作のバイオレットでマリルリを育てていますし、改札はスマホでピッと通っているのに、イメージと現実が一致していません。
ある一定のところで時代や代表とするものが止まってしまう感覚、不思議でもあり納得でもあります。そして、この止まっている感覚がジェネレーションギャップに拍車をかけるのだろうと感じました。
現実圧
人間同士の自然なやりとりや世界の仕組みに「不自然さ」を感じてしまうお話。
例えば、怪我で切れてしまった血管の末路に思いを馳せる人はあまりいません。僕の血管は一本少なくなっちゃったのかな〜とか、いつ血管がくっつくのかな〜とか。そんなことを思わずに、ただ「自然に」治ることを考えます。
穂村さんは、我々がいちいち考えないことを、いちいち頭の中でめぐらせました。「自然に」生きていれば問題ないはずの現実の圧。
その圧を受け止め切れていない自分は、深海魚が浅いところに引き上げると破裂するのと同じなのでは?と思ったようで。
きっと、見える景色が不思議だらけの子どもと同じように、純粋な思考をお持ちなのかなと感じました。
他の方のエッセイを読むのは刺激になります。日常のあらゆる視点が物語に変身し、そもそも私たちは常に、物語の中に生きているのかな〜なんてポワポワしたことまで考えてしまいました。
今後もいろんな方の頭の中をのぞいてみたいと思います。
以前は星野源さんのエッセイを読みました。
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